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2024年7月15日(月)

最近は土日祝日もなるべくBlogを更新することにしている。
SAT債も売れたし、
30分Web面談も買っていただいた。

商売をさせていただいたからには、
最低限何かしらの発信をするのがマナーである。

さて、
とはいえ、
何もしない3連休だった。

ラーメン、回転すし、焼き鳥と
3連外食をした程度だ。
それでも2万円もかからない。

我が家のメンズは少食だ。

無駄なキャッシュアウトを抑えたおかげで、
さらに財務が盤石となる。

そもそも、
既に生活を質素にすれば勤め人を卒業できるだけのCFがあるのだから、
1日、1か月、1年と勤め人を継続することで、
さらなる余剰資本を蓄えることになる。

これに質素な生活を加えれば、
鬼に金棒、トラに翼である。

「我!勝てり!」
という心境である。
何に勝ったのかと言えば資本主義に勝った。
労働者階級からの脱出に勝ったのである。

次は相続税との勝負だが、
まあそこは次世代が成長したときにじっくりやる。
まだまだ死ぬつもりはないのでね。

さて、大家業というヤツは
どうも一通り「カレーの作り方©聖丁」をやってしまうと、
後は流れ作業になってしまう。
惰性的になるのだ。

探す、買う、貸す、家賃を貰う、退去される、直す、また貸す
この繰り返しである。
仲介業者は毎日毎日取引を探す必要があるが、
大家はいったん満室になると退去までやることがない。
仮にあったとしてもすべての過程を外注可能なので、
まさに惰性的に資産が拡大してしまう。

「バカ」をしない限りは何も起こらないのである。
バカとは「高値掴み」「過度な借入」「ほかの商売に手を広げる」「騙される」などである。
要するに、つまらんのである。

そうなるとブログの発信もツマラナイ。
初心者にとっては未知なる冒険なのだが、
1回クリアしたドラクエ4をもう2回、3回とやるイメージだ。

ハイハイ、ホフマン死んだ。
ハイハイ、勇者の村焼かれた。
という無感動に感動的なシーンが繰り返されるのである。

稀に、火災、夜逃げ、孤独死なども発生する。
滞納もそうだ。
その時は盛り上がってアドレナリンが出るが、
2回目になると

「その技はもう見たよ…。」
といった感じになってしまうのである。

そうなってしまうが故に、
有名大家が暇に任せてインフルエンサーになったり、
酒を飲んでウェイ。したり、
資産の量をSNSで発信して承認欲求を満たすという行動をしているのだと思う。
車を見せびらかしたり、
セミナーをやってみたり、
承認欲求を満たすことに大忙しである。

私もある程度の年収や、資産規模は公表している。
承認欲求なのかもしれないが、
一応どんなステージのヤツが情報発信しているのかを明示することも必要だと思ってやっている。

ただ、情報が必要なのは20代、30代の若い人なので、
今のその人達の状況が、45歳の私にはマッチしなくなってきたという感覚も確かにある。
当時とは状況が異なりすぎるのである。

2018年から6年経って、私も勤め人卒業可能段階まで来てしまった。
こうなってくると、本当に情報が必要な多数派にとっては、
単なる金持ちの自慢話みたいになってしまっているという
気がしないでもない。

そろそろ筆をおくべき時なのか?
何も成し遂げていない。
そんなことを考えた。

私はかなり人間関係が薄いタイプだ。
しかし、ゼロは嫌だ。
無人島ではくらしたくないが、
たくさんの人と交流したくもない変人である。

昔、村の外れで暮らす学者がいたという。
人を避けて村の外れで暮らしていたのだが、
ある年、村が洪水に遭い、村全体で移住することが決まったという。
移住してみたら、人を避けて暮らしていた学者もついてきて、
やはり再び村はずれに庵を結んで、暮らし始めた。

そんな話を聞いたことがあるが、
私はその学者に非常に共感した。

そんな人間なのである。

勤め人をして比較的社交的になったが、
人間の本質がそんなだから、
濃密な人間関係がストレスなのである。
それもあって、田舎の濃密な人間関係を避けて東京に出てきたともいえる。

別に辞めてもいいのだが、
とりあえず明日からまた勤め人をやる。
しなくてもいいのだが、してもいい。
誰がやってもいい仕事だが、
誰かに譲るには割がいい仕事だ。

細々と続ける。

をはり

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