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私の仕事は借金取り「嫌なら関係を切ることだね」

勤め人人生の全てを借金取りとして生きてきた

私の人生は、司法試験の挫折に始まる。
当時はちょうど「法科大学院」が始まるか始まらないかと言うタイミングだった。
私の1つ年下で優秀な連中は「旧司法試験」で合格した。

その下の世代からはほとんどが、「法科大学院(ロースクール)」を出ている。
私は旧試験があるうちに合格できなかったら諦めようと思っていたし、
実際諦めた。
その後、せっかく民法が得意だったのだから、と、
当時始まったばかりの業界(サービサー)に入った。

それ以来、20年以上、債権回収とその関連業務をしている。

Googleの存在意義は「速く他のサイトへ移動してもらうこと」らしいのだが、
借金取りと債務者の関係もこれに似ている。
「速く俺たちみたいな連中と関係切ることだ」
この一言に尽きる。

金融機関から売却された債権は、本当にマイナスでしかない。
なぜならば、債権回収だけで、新規融資が受けられないから。
この種の債権者が存在していると、金融機関はまず、融資しない。
債権回収専門会社とは、1日も早く関係を切らねばならない。

ビジネスが「取引継続」を目的としているのに対して、
借金取り日は「取引終了」が目的なのである。
借金取りでも再生ファンドでもそうだが、
こういう連中とは1日も早く取引を解消しなければならない。

病院もそうかもしれん。
一生、縁がないことがベストである。
それに越したことはない、
1日も早く入院状態から脱しなければならん。

法律家との関係もそうだ。
一般庶民としては一生縁がない方がいいし、
実際ない人の方が多数派である。

医者、法律家、借金取り。
1日も早く関係を切りたい仕事をしてきたのである。

この業界には一流人材はいない

金融業界にセグメントされるこの「借金取り業界」だが、
基本的には金融業界も永続的な取引を志向している。

銀行は金利を長く、たくさん取りたい。
(企業は無借金でいけるなら無借金がいいのだろうが)

当然、銀行の収益の根幹は法人取引である。
半沢直樹も、大阪西支店での戦いの結果、丸の内の本店法人営業2部の次長に転身していった。
大阪西支店でやっていたことは、債権回収だが、転進先は花形の法人営業部だ。

債権回収は金融業界では地味なのだ。
たまに、JALの再生など、華々しいヤツがあるが、あんなものは本当に簡単で、
売上は十分に確保できるし、人材も豊富。
過去の過剰債務をカットしてやれば簡単に再生する。
別に稲盛さんを担ぐ必要もなかったのだが、
税金を投入する建前があるから、神輿に乗せたに過ぎない。
私でも再生できる。

「債権者を泣かせれば」である。

という訳(どういうわけだか)で、
借金取りの業界には一流の人材などいないのである。
一流になりそこなった人材しかいない。

特に一番始末に負えないのが、
借金取りの業界にいる時点でお察しのくせに、
自分が優秀な人材だと思っている人間だ。

本流から外れた人間と言う謙虚さがない。
(だから再生、回収の業界にいるのだろうが)
そもそも回収ステージになる債務者ってのは、
資本主義ゲームの負け犬である。
負け犬に小難しい財務分析やら、高度な資金計画を求めるのは何の意味があるのだろうか。
それができないから負け犬になったのだ。
「○○が出来ない!」と、目くじらを立てるのはいかがなものか。

中学生に東大の過去問を解かせるようなものである。
しかし、この業界には結構、これをやるヤツがいる。
自称、シゴデキな人々である。

このタイプは新卒でトップバンクには行っていない。
二流三流の銀行に行っていたタイプである。
そこでも出世できなくて、この業界に逃げてきた連中で、
要するに私のような司法試験ドロップアウトの負け犬と同類なのだが…。

プライドだけはチョモランマなのである。
得てしてそういう人間は出世するのだが、まあそれは良い。

回収、再生における重要な仕事

嫌われること。
1日も早くこいつらとの関係を切りたい!と、思われることである。
その意味では、ナチュラルに嫌な人間である、
自称エリートがこの業界に来る意味はある。

意図的ではなく嫌なヤツが再生、回収をすることで、
投資先企業が再生する。
個人債務者が、破産に踏み切るなど、
抜本的な解決に乗り出すのである。

人格的にはクズな人間ほど、この業界には向いている。
しかしだ、会社員としてはクズ過ぎると、
やっていけないので、その両立ができないとマズイ。

つまり、何が言いたいかというと、
勤め先は絶賛社員募集中である。
採用が厳しいらしいので、この業界に興味がある、自称人格破綻者は、
是非門をたたくといい。

をはり

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