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理系と文系

アインシュタインの理論とソクラテス

まあ、理系の方が重宝される時代である。
医者やら技術者が重宝される時代なのだ。

理系と文系の違いは、進歩の仕方にあると思う。
理系は科学なので、道がまっすぐ、前に伸びている。
先人の知は先人の知に過ぎない。

アインシュタインの理論は現代では理系の大学生であれば、
大体理解しているのだろう。
地球が球体で太陽の周りを公転していることは、
小学生でも知っている。

ダーウィンの進化論も高校生レベルである。
厳然とした事実で、覆すことができない真理が理系だ。

一方文系である。
これは「そもそも進歩してないんじゃないか?」
と、思うほどゆっくりと進む。

経済学の分野はいまだにジョン・メイナード・ケインズを越える学者は誕生していない。
その理論の正しさが実証されてもなお、
アダムスミスに回帰したり、レッセフェール(自由放任)の経済に注目されたりする。

知の巨人、ソクラテスを越える哲学者も同様。
文系は遅いのである。
進歩が遅いから否定されているわけではない。
要するにカネだ。

最も金(カネ)が儲かるのは
「新たな技術を発見、開発」することであるから、
これは仕方がないことだ。

空気中から無尽蔵のエネルギーを生み出す技術が誕生したらどうだろう。
巨万の富が得られる。
それを目指してイノベーションを追求するから、
理系に注目されるのである。

ま、そうは言っても、イノベーションを生み出せるような人材は、
理系人材の1億人に一人なわけだが。

さて。

凡人が生きるためには文系の知識が有効だ

別に理系、文系で優劣をつけたいわけではない。
優劣をつけるという発想が既に資本主義者である。

この!資本主義者!

文系の素養、文章をわかりやすく書く能力。
読む能力。
幸せとは何か?
人生とは何か?
お金の本質とは何か?
死とは何か?
理系のように1つの答えしかない学問ではない、
ある意味、答えのないことを探求する学問。

この学問は、ヒトの内面を強化する学問だ。
知者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶと言われるように、
歴史を学ぶことはまさに「人間」を学ぶことである。

人間の内面は、ソクラテスの時代から、
ほとんど進歩していないのである。
歴史を振り返れば、自分自身の悩みなど、
誰かが一回経験しており、
書籍化されている。

それを読み、活かすことで人生の難易度が下がる。
そんな役割が、文系学問である。

文系学問をきちんと学習してきた人は、
人生がウマイ。
本能的にウマイ人もいるが、
私は、本来人見知りで、コミュ障だ。

読書をすることや、
イヤイヤながらの人付き合いを通じて、
うわべだけ取り繕っているに過ぎない。

文系の学習をしなければ今頃、田舎で生活保護を受けて独居していただろう。
ありがとう!

ただ、文系理系は大学の話ではない。
答えが1つしかない世界と、
答えが回答者の数だけある世界の違いだということ。

人間社会で多いのはむしろ後者だという話っス!

をはり

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