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キミはもっとできる!という期待。いらんのよ。

最近慶応より早稲田の方が評価が高いらしい

早慶上智という言葉が嫌いだ。
上智は入らなくていい。
挙句の果てに早慶上理という言葉もあるという。
いやいやいや。

やめてください。
早慶で必要かつ十分である。

さて、私が大学受験をしていた頃は
早慶はどちらも難関であるには違いないが、
看板学部の経済学部や政治経済学部、法学部を比較すると
慶応の方が難しいという傾向があった。

しかし、各種改革の成果。
(というより、慶応が金持ちの子女を過度に入れ過ぎているせいだと思うのだが)
早稲田が慶応を逆転しつつあるらしい。
卒業生の質が評価され、社会の評価が回り回って、このような結果になったようだ。

第一志望ではないが、結局母校になった早稲田大学卒業生にとっては
非常に喜ばしい。

まあ、早慶でも明治でも立教でも構わんが、
ソコソコいい大学を出た学生というのは
企業でも活躍を期待されるものである。

その期待にいかに正確に答えていくかが
若くして始まる出世競争(勤め人ゲーム)の醍醐味であると言ってもいいだろう。

私も自画自賛で恐縮だが、
どこ会社でも大いに期待され、
ある意味期待に応え、ある意味期待を裏切って生きてきた。

30代以降の会社からの期待=稼ぐこと

30代にもなると、
勤め先からの期待は「稼ぐこと」に集約されていく。
人材のマネジメント等の役割を求められ始めるのはその後しばらくしてだろう。

この売上への期待が始まる時期が、もっとも勤め人としての不遇の時だと思う。
給料の10倍、20倍‥‥と稼ぐことを求められる。
そして、それを成し遂げた勤め人が出世の階段を早く1段上がることができる。
というヤツである。

うむ。
年収1,000万円程度の社員が、億単位の収益を出してくれたら、
そりゃあ、勤め先も楽である。

しかしだな。
その報酬が、「課長」では割に合わんと思う。
(昭和までは権限、女など割に合う要素が多かったと言う)

私はそれに20代には気づいていたし、
出世を目指そうにも勤め先がサラ金子会社だったり、
ブラック不動産だったり、倒産したり、
公的資金が残っている銀行の子会社だったりして、
そもそも、出世ゲームをしようという環境にはなかった。

私の目標は大学の友人が手に入れている30歳年収1,000万という水準であり、
33歳頃に勤め人700万、不動産でCF300万という形で達成していた。
今後は別に勤め人700万で一向に構わんっ!
と、思っていた。
不動産CF+勤め人の余剰資金を再投資していくことで、
年収2,000万円を目指してひた走っていった。

年収2,000万円は30代の中盤に成し遂げることができ、
45歳になった今は、年収3,000万円を超えた。

無論、勤め人事業の成長見込みはゼロで横置きである。

こういう人間にとって、
給料の10倍儲けさせて!!!!!
という要求は、「は?」なんで?????
以外の感想が出ない。

赤字社員になることは申し訳ないが、
10倍稼いで、固定費を賄ったり、新人の教育費、
中年以上の社員の維持費に使われて終わりだ。
よくて当期純利益に残る程度だろう。

人の期待は裏切ってもいい(勤め人に限る)

そもそも、人件費の10倍の利益を出すことを期待するのは間違っている。
そもそも給料は「労働力回復のコスト」が支払われている。
生殖して子供を増やすこと、教育費、家族の介護まで含まれているものである。

であるから、最低限赤字にならない程度に言われたことだけ、やればいいのである。
そんな労働力を使って、如何に再現性のないような収益を出すのか?
それを考えるのが役員の仕事であり、適材適所に人を配置して動かすのが仕事だ。

期待するのは猿でもできる。
マネジャーは猿以上の仕事をすべし。

そもそも労働力回復のコスト以上の期待をするのは、
過剰期待というヤツだ。
労働力の搾取である。
そもそも期待しただけでそんな利益を出せるようなヤツは、
それこそ独立起業するべきだし、
一足飛びに役員にでもなるべきだ。

イチ勤め人としては何の報酬も伴わない期待など裏切って一向に構わない。
勤め先の同僚上司程、薄情な関係性もあったもんじゃない。
小学校中学校の同級生以下の関係性だ。
そんなヤツからの期待など、太平洋に沈めてしまえ!

私も天才上司君には「SATさんはもっとできると思っている」
と、言われていた。
そりゃそうだろう。
貴様とは学歴も経歴も違う。
本気で勝負したら勤め人としてある程度出世するだろうさ。

しかしだな。

私はそのゲームを降りたのである。
期待には応えない。
私のやりたいことはそっちにはない。
勤め人は給料に見合うだけ働くだけだ。

「その態度が気に入らん」とクビにしようとしていたが、
気に入らんだけでクビにできたら労働法は要らない。

自分の能力不足を部下の過剰労働で補おうとするんじゃねぇよ。
天才上司君にリーダーシップやカリスマ性があれば、
この人の為なら人肌脱ぐか…。
という気持ちにもなろうもんだが、
それもない。そもそも持ってない。

第一、勤め先の支配権のある株主でもないし、
役員ですらない。
人事権もない。
賞与の決定権もない。

勤め人にありがちなのだが、
役職が高いからと言って、自分が上級な人間だと勘違いしている。
ただのオッサンのくせに。
お互いただのオッサンなのだ。

仲良くやるべきだ。

確かに勤め先は給与が高い

確かに今の給与水準で9時5時で、有給フル消化で働かれたら腹が立つかもしれん。

しかし、労働者とはそういうものだ。
だったら給与水準を下げた方が良い。

給与水準を下げたら下げたで、
ただでさえ低能力しか採用できない環境下、
さらに人材の質が劣化するだろう。
(まあレベルの低い仕事しかないので実はそれが正解なのだが)

そのせめぎあいの中、
バランスを取るのが経営なのだ。

私も独立起業したら、そのせめぎあいをより強く感じつつ、
経営していくことになるだろう。

優秀な人材がいたとしても、その人材の意思に反する労働は強制できない。
してはいけない。
したかったらもっと上位の契約を結ぶ必要がある。
(取締役という委任契約だ)

私があえて低い職位に甘んじているのは、
勤め人としての稼ぎをこれ以上求めていないからである。
そんな人間に「あなたはもっとできる!!!」
と言ったところで私は「何を?」
と答えるしかない。

要するに労働力を限界まで、いや限界を超えて提供しろ。
上司の俺様の手柄を必死で立てて来い。
という話であろう。

100歩譲って、仮にその手柄を立てたとしてだな。
お前は俺に何を与えることができるのだ?
という話になる。
出世が不要な人間に何を与えてくれるのか?
臨時賞与か?
100のうち、85は召し上げるのは分かっている。
そんなものは賞与とは言わん。
労働力のピンハネだ。

労働力は適量を勤め先に売る。
残った労働力は自分のビジネスに投資する。
そのバランスを見誤ってはならない。

高く売り過ぎるのも、安く売り過ぎるのも、いかん。

をはり

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