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怒りを原動力に前に進むのは限界だ。

若き日の怒り、劣等感

30代半ばにして、私は成し遂げてしまった。
しかし、忘れてはいない。
幼き頃、若き日のあの悲しみを‥‥。

©諌山先生

幼き頃、私は不自由だった。
ファミコンソフトを1年に1本しか買ってもらえなかったあの苦しみ。
1年に1回しか買えないチャンスに選択するソフトを間違えてしまった苦しい思い出を…。
カネさえあれば‥‥。自由に欲しいものが手に入るのに。



カネ(=資本主義)の世界に放り込まれる前の学生時代。
若き日の苦しみの根源は「周囲との比較からくる劣等感」であり、
劣等感を克服する闘いだ。
容姿(=モテ)、運動能力、学習能力という他者との比較からくる苦しみ。

容姿(=モテ)の問題は大学生の時に克服できた。
最初は普通の女性と交際し、修行を重ね、
いわゆる美人とも交際することができた。
生涯に相撲を取った女性は両手で収まるが、
その程度で私は満足だ。
この苦しみも克服できた。

お前は巨人の時相当殺しているだろう。©諌山先生

運動能力に関しては、劣等感はそれほど感じなかった。
小学生の頃は1番足が速かったが、
中学生になって、比較的成長速度が遅かった私は、
次々に成長して足が速くなる同級生に負けていった。
中学生の劣等感を引きずって高校に進んだが、
高校生になって、同級生の生徒数が20倍になった。

県内から高い運動能力を評価されて推薦入学で集まってくる。
高い運動性能を持つ同級生の数を見て、私は驚愕した。

しかし、同時に思った。
「岩手県と言うマイナー県でも、
これほど運動性能が高い人間がたくさんいる。
日本、いや世界を見渡したらコイツらも大したことはない。
コイツらに努力で対抗しても、多分勝てないし、
その努力に見合うリターンは得られないだろう。」と。

「諦め」である。
しかしながら、私は今思う。
諦めの語源とは「明(あき)らかに」「観(み)る」ということらしい。
明らかに観た(あきらかにみた)結果、諦めた。
この諦めの選択は、高校生の我ながら良い判断だったと思う。



一方で、
運動ができる同級生は明らかに勉強が出来なかった。
県内No1、東北地方でも有数の運動能力を持つ彼らは、
学力と言う意味では、「全員」私より劣っていたのである。

私は勉強の分野でも、高校入学当初は努力していなかった。
にもかかわらず、運動性能が高い彼らよりも勉強ができた。
「俺が勝負するのはこっち(勉強)だな…」
と、高校1年の2学期に悟ったのである。
私は運動よりも勉学で身を立てようと決めたのである。

©諌山先生

運動性能の劣等感は諦めによって克服し、
学習性能で勝負しようと決めた。

結局、私は他人に勝ちたかったのだ。
誰かに勝って認められたかったのだと思う。

しかし、承認欲求だけはないことも付け加える。
私は高校生にして、おぼろげながら理解していた。
運動だろうと、学習だろうと、その先にあるものは
「カネ(「資本主義)」なのだと。

運動性能で勝負するよりも、
自分は学習性能で勝負した方が「稼げる」。
「好き」だけなら私は野球が好きだった。
でも自分は野球でカネを稼げるとは思えなかった。

野球部の練習を見たら、
自分のポジションはどこにもないことは一瞬で理解できた。
サッカーでも同じ。
この高校のレギュラーにもなれないのに‥‥。
絶対にカネにならない。

運動、学習どちらがカネになるかも考えていた。
やはり「ファミコンソフトが欲しい。」と言う幼き日の欲望がくすぶる。
そして欲望を叶えるのはカネなのである。

そして私は学習に精を出して、
東大には落ちたが、早稲田大学には合格した。
(ちなみに慶應も落ちた。)

カネとの闘い

高校時代に運動に見切りをつけ、
学習にスキルポイント全振りして無事、早稲田大学に進んだ。

まあ東大は落ちたが、弁護士になろうと思った。
理由は弁護士がカネになりそうだから。
ここの選択でミスった。

高校までは学習の分野で成果を出せていたのだが、
大学→社会人のステップで大いに判断をミスった。

今思えば、正解は「優良ホワイト企業」に就職することだが、
当時の私は「勤め人」が漠然と嫌だったこともあり、
独立自営で年収もソコソコ高い弁護士になろうとしてしまった。
自分の能力を見誤ったのである。
当時司法試験の合格者の平均年齢はなんと28歳。
なぜ、私は自分が22,3歳で合格できると思ってしまったのだろうか?
謎である。

案の定、22歳、23歳と受験しても合格できないことになった。
そうこうしているうちに法科大学院制度がスタートし、
2年間大学院に進まないと司法試験が受けられなくなった。
これ以上親にカネを出させるのも忍びなく、
25歳の私はサラ金の子会社に就職することになったのである。

就職した会社の年収は350万円程度。
30歳時の想定年収も500万円前後だったと思う。
一方で、新卒でソコソコの企業に入った大学の同級生たちは、
30代で早い人は1,000万円以上の給与を得る。
キラキラしていて女にもモテる。

私は彼らと自分の埋めがたい「差」に怒りを覚え、その後、勤め人と大家という作戦で、
彼らに復讐を始めたというわけだ。
アイツらを年収で上回りたい‥‥。
何かいい手はないか‥‥。
そうだ、勤め人では500万でも、不動産投資で500万の収入があればとりあえずは並べる…。
そして、私は不動産を買い始めた。
それから数年。

結果として私は勝利した。
最初は勤め人の給料は500万円程度から上がらないと想定していたが、
勤め人として転職しているうちに年収が上がり、
総合商社やTV局に勤務する同級生とも遜色ない
給与を得るようになった。

不動産の収入を踏まえると、総合商社の部長以上だ。
妻が実家の不動産を相続したので、世帯年収と言う意味では4,000万円以上の収入にまで増えた。これはある意味想定外の幸運だが。

結果、私は全て手に入れたのである。
カネ、女が男子の欲するモノの全てである。
確かにそうだ。
ファミコンソフトが欲しいという幼き日の私は、
理想の大人になれたのだと思う。

誰かと比較して自分が劣等感を感じることは、もうない。
私は若い頃に欲しかったもの、全てを手に入れてしまったのである。

怒りを原動力に進んだ若き日々、そして目標を実現した今

30代までの私はまさに怒りを原動力に進んできたと思う。
貧しく、欲しいものが買えない怒り。
運動で負ける怒りを学習で解消する。

大学の同級生たちに年収で負ける怒りを勤め人大家としての合計年収で打ち負かす。
結局カネと女を求めて戦い続けてきたのだと思う。

そしてその戦いの結果、怒りを覚えない日々を手に入れたのである。
美しい上に高所得の妻、3人の愉快な息子達。
社会的に立派と呼ばれる勤め先と十分な収入。
そう、私は「怒る」理由を全て失ったのだ。

細かいことを言えば、息子が折角有名私立に入ったのに、
不登校なことはイライラする。
しかし、ろくに勉強もしないくせに有名私立に入れる息子の頭脳なので、
全く心配していない。
周囲の空気に流されることなく、
クダラナイ学校には行かぬ。
という姿勢には実は尊敬すら感じている。
不登校など大した問題ではないし、
そもそも私の問題ではない。

話はそれたが、
怒りや劣等感をぶっ殺す!という目的を原動力に生きてきたのが私であり、
30代までの自分だったということである。

それは、苦しい戦いだったが、
満足のいく結果だ。
今思えば、「もっとうまくやる方法はある」と、思うし、
この「資本主義との戦い方」に共感を覚えるから、
私は聖丁が好きなのだと思う。
そして、今、戦っている人達には「うまくやって欲しい」と思い、
このブログも書いているのだとも思う。

そして、今…。
私は怒ることがなくなってしまった。
何にも怒りを感じないし、不足も感じない。
贅沢をし過ぎて、太ってしまうことは困ったものだが、
それは節制すれば何とでもなるので、問題ではない。

ここから私は怒ることもないのに、
どうやって40代を切り開こうかと悩んでいるのである。

これ以上怒りを原動力に生きることはできない。

政治には確かに怒りを感じる。
無駄な緊縮財政をして国家を衰退させる政治には確かに怒りを覚える。
しかし、これに対して、私は「戦おう」という気が起きない。
残念なことに私はこの国家が主導する
「デフレ誘導資本主義」によって成功した人間である。

不良債権という業界のゲームも、
大家業というゲームも。
私はこのゲームを上手く立ち回って成功してきた。
そしてこのゲームはデフレ型でうまく機能した。

むしろ昭和型バブル社会であったら、
私は勤め人として今一つな人生だったかも知れぬ。
1990年代に始まる緊縮財政の結果、
(緊縮する必要がないのに、財政を緊縮させる政策)
経済が崩壊した。
崩壊した経済における「ハゲタカ」が「不良債権プレイヤー」である。
私は国家政策によって経済的に殺された人たちの死肉を食って太った。
彼らの死体を効率よく食うほどに給与が増えた。

暴落する不動産価格の中で、
高く家を買い、手放した無知な人。
その無知につけこんで安く不動産を仕入れる。

国家窮乏政策の被害者である貧しい人に
安い家賃で家を貸し、賃料を得る。

政治は確かに間違ってきたし、今も間違っているが、
間違った政策のおかげで私は豊かであり続けることができる。
怒りというよりも感謝すら感じる。
大多数の国民の皆様には申し訳ない気持ちはあるが、
国民の皆様から「責任を取って政治をやれ」とでも言われない限り、
私はやる意義を感じない。
正直に言って、
私はこのデフレ誘導型資本主義が心地よいのである。

比較的怒ることができるのが政治の分野だが、
上記の通り、これすら原動力にはならない。

他のことには怒りは感じない。
怒りを原動力に生きてきた私は戦う原動力を失ったと思う。

楽しみを原動力に生きよう

私は、若いうちは怒りを原動力に戦ってもいいと思う。

有名な株式投資家のCisさんのように、小さい頃からゲームやギャンブルが楽しくて、
株式投資も楽しくて、やっているうちに勝手に経済的に成功するというパターンもある。
その方が確かにいいが、Cisさんは、やはり例外であろう。
大多数のヒトは貧しさや非モテに対する怒りと欲を克服するべく、戦うしかないと思う。

戦った結果、おそらく今の私のように勝利して、
怒りが消えるようになることだろう、
そこから先は楽しみを原動力に生きたい。

おそらく私の次のステップは、
勤め人を続けることに対する怒りや無常観が、
勤め人卒業という変化を連れてくるのだと思う。

若く、使い勝手のいい労働力によって私の勤め人大家の「勤め人」部分は、
あと10年以内には消え去るだろう。
だが、今は心地よい。正直「楽しい」とも言える。

勤め人もそれなりに楽しくヘラヘラ(笑って)やっていられるなら、
続けても良い。と、今は思っている。

怒りを原動力に勤め人を卒業するか?
より楽しいことを見つけて勤め人を卒業するか?
私はまだ分からない。
しかし、遅かれ早かれ勤め人は「必ず」卒業「させられる」ものである。

出来れば後者で卒業したいものだ。

をはり





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