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鍋島 直茂

出典:公益財団法人鍋島報效会 徴古館

 

鍋島 直茂(なべしま なおしげ)
生誕 1538年4月12日 ~ 死没 1618年7月24日 享年81歳

志が「天下統一」、個人的には領土保全な気がします。
それほど積極攻勢な人生でもなかった気がしますので。
一般的な志ですが、一回見ておきましょう。

「日本を一つに統べる
武家の棟梁となり、
天下に号令せん」

足軽雇用
「農兵のみでは戦に勝てぬ
多くの足軽を雇い戦力とすべし」

軍備拡張
「兵なくして戦をすることはできぬ
何をおいても兵を増やすべし」

「足軽雇用」

戦や冷害で農村が荒れ、
農地を捨てて逃げるものが増えたこの時代、
都市には職を持たぬ民たちが流れ込んできました。
大名たちは彼らを足軽として雇い、戦に動員したと言われています。

(なるほどですね。雇用の確保と言う意味でも
足軽は重要だったのですねえ。治安の維持という観点も
あろうかと思います。)

基(拡大主義):領外で決戦すると部隊防御力が上がる
条(足軽隊):足軽の募兵速度が上がる
条(集住):拠点の人口が増えやすい
悪(足軽徴用):足軽の俸給が高くなる

「軍備拡張」

天下統一に必要なのは、
戦に必要な大量の物資を迅速に
集めることでした。
戦が大規模化するにつれ、
大量の兵糧や兵装を
集められる経済力を
持つもののみが、
天下統一の資格を有するように
なりました。

基(武器商人):軍馬・鉄砲の取引量が増える
条(落城重視):攻城戦で強攻の威力が上がる
条(兵糧奉行):行軍時の兵糧消費が減る
悪(矢銭増加):軍馬・鉄砲の購入価格が上がる

まあ一般的志なのであまりコメントはありませんね!

統率 87
武勇 81
知略 92
内政 82
外政 91

やはり見事。
スキがありません。
九州随一の知将ですね。
小早川隆景、直江兼続と並び
名宰相と言われただけのことはあります。

ところでいつの間に大名に?

信長の野望では龍造寺家の軍師的な感じで
登場するこの鍋島直茂。

信長の野望「大志」でイラストが一新されて、
何だかワルっぽい感じになりましたね、。
またイケメン風で、こういう男が好きな女性もいるいるって感じになりましたね。

さて、龍造寺家の家臣的な立場だったと思いますが、
いつのまにやら肥前佐賀藩は鍋島藩という、
江戸時代の印象になっていますよね?
小早川、吉川あたりは秀吉政権が樹立されたあたりから
独立大名になっていった感じがしますので、
その辺りかな?
と、思って調べてみました。

沖田畷の戦い後の龍造寺家の動き

普通にWikiに経緯が書いてありましたね!
沖田畷の戦いで島津に敗北した龍造寺家。
この戦いで龍造寺隆信は討死。
その後息子の龍造寺家政が家督を継ぎますが、
島津家に従属。
島津家と一緒になって、立花道雪の養子である立花宗茂の
守る立花城を攻撃。

しかし、鍋島直茂はひそかに豊臣秀吉に通じていて、
秀吉の九州征伐と同時に島津家を裏切って、
秀吉側につきます。

豊臣秀吉はこれをきっかけに、
鍋島直茂を引き立てて大名として取り扱ったようですね。
ここです!
秀吉の仕業です。
その後肥前佐賀の鍋島家として幕末まで生き延びます。

ちなみに私、鍋島藩の子孫とは多少関係があります。
詳細は言えませんが。

直茂のイベント自体は少なめですね。
沖田畷の戦いは鍋島直茂不参加ですし。
ここだけです。
まだ龍造寺隆信との関係が良好だったころですね。

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