民主主義以前に資本主義だ
資本主義とは何か?
商品の集合であり、最小単位は労働力である。
資本主義においては
労働者と資本家、2つの経済主体で人間を切り分けることになる。
資本家とは「生産設備を保有する者」であり、
労働者とは「資本家に雇用され、労働力と言う商品だけを売る者」
と、定義する。
民主主義で誰もが平等に1票を持っている事実と併存して、
資本主義が存在する。
資本主義は一人1票ではない。
株主総会決議は一人1票ではない、所有する株式の数に比例して
1票が与えられるのである。
私が三菱商事の株を1株持っていたとしても、
「屁のツッパリ」に過ぎない。
これが不平等だ!ということはできるが、実に公平なシステムである。
この資本主義。
私は大いに好きである。
資本主義は資本がそれ自体意志を持つかのように拡大しようとする。
それがゆえに歪みに対して忠実に利益を取りに行く。
即ち、
民主政治という資本主義よりは相当歪んだシステムを併存させているがゆえに、
「政商」が産まれる。
竹中平蔵、孫正義、ホリエモン氏もそっち側で、
政治家が親戚に会社を経営させて、
その会社に仕事を発注して利益を出す。
国益を損なうような「移民政策」を採用したりする。
これも資本主義、資本の自己拡大欲求の発現だ。
それを抑えるためには、
Chinaのように共産党独裁(=共産主義)により、汚職=死刑とするような極刑で臨むか、
ナショナリズムと道徳を磨くか、2つに1つである。
政治の話はさておき、
資本家と労働者という2つの経済主体により、資本の自己拡大欲求を認めるシステム。
資本主義とはそういうものだと理解するしかない。
労働者と資本家のルールは異なる
平成16年の税制改正を例えてみようか。
この税制改正では、給与所得と不動産売却損の損益通算ができなくなった。
つまり、それ以前には、不動産売却損と給与所得の損益通算ができたということで、
例えば、
1000万円で不動産を買い、200万円で売却した場合、800万円の損が出る。
これを給料の所得と通算(相殺)すると、給与所得はゼロとなり、
所得税も住民税もゼロとなる。
これは極めて当たり前な税制だったが、
資本主義のルールに照らすと、アウトである。
つまり労働者が資本家的な行動をして節税すると言う行為が、ダメなのだ。
労働者は労働のみに依存して、生涯にわたって労働してもらわないと「困る」のである。
資本家とは生産設備は持つが、それを回す労働力を必要とするから、
労働者が不動産を買って、自分の法人に売却して損を出し、課税から逃れるというマネをされたら、労働力の持続性が失われる。
労働者は常に貧しく、その日暮らしで生きて、老化によって労働力が尽きるまで働いてもらうことが前提なのだ。
それに反した節税行為はダメ!。
こうしてサラリーマンの節税方法はどんどんどんどん失われる。
今後も新たな手法が編み出されるだろうが、
すぐに税制的に手当てされて、抜け穴を封じられる。
これは労働者は労働者として多数派でなければ困るし、
変に目ざとい労働者がパラパラと資本家になるのはまあしょうがないが、
多数にやられてしまっては困るということだ。
しかし、法人の場合には、不動産を売却して損が出たら、
それは損金として明確にOKで、所得から控除される。
それが別法人であれば親戚が経営する法人でもOKなのだ。
つまり、資本家と労働者は、ゲームのルール自体が明確に異なるのである。
また、資本家のルールは確定申告であるが、
労働者のルールは「源泉徴収」であり、
経費として所得から控除できる項目には厳しい制限がある。
制限があり過ぎて裁量の余地が全くないほどだ。
一方で資本家の場合には、接待交際費という飲食費まで、
経費として認められる。
資本家が本社を建築すれば、建物は減価償却費を計上できるが、
労働者が自宅を建築しても、減価償却はできない。
これは明らかにおかしな話だ。
建物が経年で劣化していくのは所有者が資本家だろうが、
労働者だろうが、犬だろうが猫だろうが不変の真理である。
それが労働者にだけ税制上許されないのはなぜだ?
もう結論は見えている。
「労働者はその労働力が続く限り、労働力を資本家に提供してもらわないと、
社会が維持できない」
これが理由だ。
社会とは「資本主義というシステム」そのものである。
ベーシックインカム、労働者のFIRE
果たしてこれは許されるのか?
資本主義と言う世界の神は資本家と労働者を作った。
その労働者がベーシックインカムを得て、労働から解放されること。
多数の労働者が、その労働力を売らずにFIREしたとしようか。
労働者がいなくなるよな?
労働者がいなくなった企業の株式の価値はどんどん下落するだろう。
資本家の生産設備で働く労働者が消えるのだから、
資本家は所得を生み出せなくなり、結果的に株式の価値もなくなる。
株式を持っているzFIRE後の労働者の所有株式も紙屑になる。
まさに合成の誤謬みたいなもので、
1人2人はしょうがないが、多数派が実行してしまうと、
社会(資本主義)が崩壊するのだ。
つまり、資本主義の神様は「ベーシックインカム」も許さない。
同様に「労働者が若くして引退する」
これも許さない。
仮にこのFIREの動きが多数派になろうとしたら、
資本主義の神の裁きが下る。
即ち税制改正である。
FIREしている若い怠け者どもに対して、課税強化、社会保険料の徴収を強化して、
労働せよ!と神の啓示を与えるだろう。
労働者は労働者であり続けなければならないのだ。
労働者が許された唯一の道
しかし、資本主義の神は、労働者に1つだけ救済を与えている。
株式を買うことだろうか?
たしかに株式投資で数億円稼いでいる人を私も知っている。
しかし、なかなか勤め人を卒業できず、結局定年とさほど変わりない時間を働かされている。
株式は売ってしまえば消えてなくなるし、
毎月の生活費でどんどん目減りするのに、株式投資で成功した人であればあるほど、
耐えられない。
倹約家であるがゆえに、株式で長期投資ができるのだし、勤め人もできるのだ。
そう、株式投資(上場株投資)は、労働者の救済手段のように見えて実は罠だ。
そっちに行ってしまうと、99%は抜け出せないようになっている。
キャッシュは株式投資に回すしかないし、インカム収入はタカが知れている。
結局定年まで労働者するしかないのだ。
ご愁傷さま。である。
配当だけで生活するには投資元本で3億くらい必要だろうし、
過熱した株式市場で、労働者が労働をないがしろにすると、
株式市場を崩壊させるという、神の裁きが下る。
では、労働者の唯一の救済とは何か?
「資本家」になることだ。
勤め人を卒業している人々に共通しているのは
「資本家」つまり、生産設備を保有する側になって、労働力を買う側に回っているということだ。
労働力を売る側ではなく、買う側。
資本主義の神は、労働者が労働者であり続けることを期待しているが、
一部の労働者が資本家となり、新たに労働者から労働力を買うこともまた、期待している。
だから、罰はない。
労働者が労働から逃げようとしたり、資本家になるわけでもなく、ゼニを持つことは神の怒りに触れる。しかし、資本家になることは大歓迎で、むしろ祝福を与えるのである。
祝福とは即ち「中小企業の税優遇」「倒産防止共済という救い」「経営者専用の共済制度(手厚い税優遇がある年金)」などなど、補助金のラインナップもとても覚えきれない程だ。
大家はなぜ神に許されているか?
それは「貸家」という生産設備を持つ資本家だからである。
実態は社員ゼロで、外注でやっていたとしても、
それも外注を受ける業者さんに仕事を与えている。
「払う側」である。
給料を払って内製化するか「外注」するかの違いでしかない。
売上を高めて、経費を払い、金利を払って、利益を出し、納税をする経営者は、
資本主義における神の祝福を受けたる者だ。
労働者がサボること、楽をすることは許されていないが、
資本家に成り上がることは、大いに「推奨」されているのだ。
をはり