私、年収3,000万円、妻の収入は400万円、家事育児は妻が全部やって当たり前
高年収、特に激務型の勤め人が陥りやすい罠である。
自分が高年収を稼ぎだし、
妻と子供には十分な生活費を供給する。
何不自由ない生活をさせているというプライドがあるのだ。
しかし、
妻は容赦なく
「子供を風呂にいれてほしい」
「〇〇を帰りに買ってきてほしい」
「休日にはどこかへ連れていいってあげて欲しい」
「〇〇を掃除してほしい」
という要求をしてくる。
「オイオイオイ、俺の稼ぎがいくらか知っているのか?ベビーシッターでも家政婦でも雇えばいいだろうが・・・・しかしベビーシッターや家政婦で外注すればいいんだけど、お前はそれで何すんの?」
という思考が巡ってくる。
何とも大人げない思考回路だろうか?
しかし、この思考には資本主義の根本原則に即した力がある。
そう Money IS Power の資本主義に沿ったこの
「稼いでいるやつはエライ」
というテーゼ。
なんとなくこの理屈に依存してはマズい!
と、思っている稼ぎの多い皆さん。
どうやってこの思考を整理して、良き父(母)としてやっていますか?
『稼いでいるヤツがエライ』と叫ぶ人は幼児性から脱却できていない。
ここで言う幼児性とはつまり「承認欲求」である。
スゴイ俺を認めろ。
家族の中で稼いでいる俺が最も尊い存在だと認めろ。
賞賛せよ。
と、いう承認欲求の発現に過ぎないのである。
承認欲求は無力で産まれてくる子供が必ず持っている感情である。
無力な存在の子供は、親から認められ承認されなければ生きていけない。
仮に親が死んでしまえば親族から、
または社会から認められなければ死んでしまうのである。
まさに本能である。
本来、大人になった私たちは、既に他者から承認される必要はない。
なにしろ年収3,000万円以上稼ぐ社会人なのだ。
しかし、幼児性からくる承認欲求を引きずっているからこそ、
このような発言が出てくるのである。
配偶者としてはこれに付き合ってあげるしかない。
相手が自分で変化しない限りはこの際限ない承認欲求を満たしてあげるしかない。
まさに苦行である。
まずは「自分が承認されたい」という欲求を持っているという事実を認識しなければならない。
私は自分を犠牲にして家族のために稼いでいるのか?
私の知り合いには、
娘5人を作っておきながら、
その母親の家には寄り付かず、
愛人の家で生活し、娘とその母親には一切経済的援助をしない人物がいる。
その是非はともかくとして、
その知り合いの男性は、「自由」を謳歌している。
彼を罰する法律は日本にはない。
仮に法律があったとしても、彼はまさに自分で自分の人生を選んでいるのだ。
世間の常識など無視して、暮らしている。
他人の目を気にしていないという点では、
歯を食いしばって育児をして稼いでいるサラリーマンよりも
ずっと自由である。
私はそれもいいと思う。
自分の人生は好きに生きてよい。
世間の常識も、家族のしがらみも、自分の意思に反するのであれば自由にいきていいのだ。
さて、
彼のように自由に愛人を作り、家族を捨てて、
稼いだカネを全て自分で使う自由も私たちは持っている。
法律で縛られてもいない。
(訴訟で養育費を回収される可能性が高いがそれは別とする)
そう、私自身も知り合いの男性と同じく
妻を捨て、子供を妻に押し付けて、1人で楽しく暮らすという自由を有しているのだ。
今すぐにでもその自由を行使することができるのだ。
であれば妻や子供に対して
「稼いでやっているんだ、俺は自由をお前らのせいで奪われている」
と、いうのは間違っている。
なぜならば私には家族を捨てて自由に生きる権利もあるのだから。
第三者から言わせれば
「じゃあ捨てて出ていけば?」
という話なのだ。
承認欲求から家族に自分を尊重するように求める人間であり、
自由に家を出ていく権利もある人間なのだ。
ではなぜ、私はその自由を行使せず、家族のために働き、家事労働をするのだろうか???
結論は見えている。
そう、私は
自由意思で家族のために働くことを自ら選択している。のだ。
家族を捨てて愛人を作ることもできるし、
家族を養育する義務を無視して、裁判されるまで逃げ回ることも可能だ。
それをなぜしないのか?
それは「私が家族のために働き、育児に参加することを自由意思で選択しているから」
に、他ならない。
事実、可愛い娘5人を捨てて、愛人と生きる知り合いがいるのだ。
彼は自由意思で自らの人生を選択したのである。
私も全く同じであり、
自由意思の結果として、家族のために働くことを選択している。
誰のせいでもなければ、誰かに感謝してもらう必要もない。
まさに、私は自由を謳歌している。
まとめ
家族のために稼いでいるという主張をする父親、母親。
これは幼児性を引きずった人間の承認欲求の発現である。
本人が解決するしかない。
家族はたまったものではないが、
彼らを変えることはできない。
自分が変わるしかない。
自分を自分のままありのままに受け入れてそれで価値があると実感する、
自己受容できなければ変化はおきない。
そんな親をもってしまった人、あなたが変わるしかない。
家族のために働いている自慢をする皆さん、
あなたは自由意思で家族のために働くことを選択したのだ。
他の選択肢もあるのにそれをしていないことが何よりの証明なのだ。
さあ、家族のために稼いでいる皆さん、
私達は家族を捨てて外国に移住して悠々自適に生きるという選択をせずに、
家族のために働く自由を選んだ!
私達は自由だ!
自らの自由な意思決定の元で稼ぎ、家事育児に取り組み、
家族と共に幸せを目指そうではないか!
をはり