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誤った自由を得た結果不自由を得る

悪銭身に付かず

諺(ことわざ)にこうある。
猫に小判にも似ている。
犬に論語も近い。

今回の話は「銭」という文字が入っているので、
これが一番近いと思う。

勤め人として年収300万円で働いていた者がいたとする。
一生けん命に働き、取引先からも信頼を得る。
そんなある日、その勤め人は取引先から年収1,000万円でヘッドハンティングされるのだ。
従来300万円で生活していた勤め人は、
2倍の可処分所得を得ることになるだろう。

この場合、この出世した勤め人の「器(うつわ)」が大きければ、
生活水準を上げず、剰余資金は貯蓄若しくは投資に回すだろうが、
「器」が小さい場合には少々困ったことになる。

勤め人は従来の5万円のワンルームマンションから引っ越して、
家賃15万円を払う。
スーツも従来の3万円のスーツから10万円にしてしまう。
スーツが10万円だから時計、スマホ、靴、カバン、
バランスを取るためにそれらにも金を使う。

従来夜は発泡酒1本で満足していたのが、
洒落た居酒屋に行くようにもなるだろう。
付き合う人間が変わるので、2次会はキャバクラである。
ちょっと金があるので、キャバクラで羽振りをよくする。

このように金(カネ)を手に入れたとしても、
その勤め人の「器」が小さいので、
「器」に入りきらない金(カネ)は溢れてしまい、
資本主義という回収システムに吸収されてしまうのである。

私が若いころに外資系金融華やかなりし時も、
質素に生活していた銀行マンが、外資系金融に転じて、
生活を乱してしまった事例を多数見てきた。

宝くじで当選したら人生が変わるか?
競馬で万馬券を当てたら人生が変わるか?
その先はその人の「器次第」である。
大きな器はたくさんの金(カネ)を蓄えることができるが、
小さな器にはそれなりの金(カネ)しか入らないのである。

勉強せずして高額の物件を買うなかれ

不動産の世界も然り。
勤め人として実績があれば、銀行は融資をする。
融資という「他人の金(カネ)」を得る前に、
自分の器を認識しなければならない。

自己資金500万円、3000万円のアパートを2500万円の融資を引いて買う。
果たして、私はこの物件が入る器を持っているのだろうか?
よく考えてほしい。
カボチャの馬車という詐欺スキームがあったが、
詐欺集団、スマートデイズの親玉はこれを理解してたはずだ。
当然建築業者もわかる。
銀行は分かっていない。
投資家もわかっていない。

器が小さい銀行と投資家がまんまと引っかかったのである。
賃貸市場、他の投資物件と比較した場合の優劣、キャッシュフローの安定感、
しっかり勉強して自分の器を大きくしておけば、
これがゴミであることは容易に判断できた。

案の定、小さい器に2億は入りきらず、破綻した。
結局、器の小さい「自称」投資家達は責任を他人に押し付けることになった。
建設業者や詐欺集団の親玉はうまく金を回収してドロンである。

借入という億単位の「投資できる自由」を手に入れた投資家のたどる道は2つである。
「器」の大きい投資家は億単位のレバレッジを得て、経済的自由の道へ進む。
「器」の小さい投資家は億単位のレバレッジを得て、借金地獄という不自由の道へ進む。

分不相応な金を手にした場合には、
自分の器が大きくなるまでは、手を付けないのが一番である。
残念ながら、「手を付けない」という判断すら、
器の小さい人間にはできぬものである。

若いうちに貧しさに耐える、少しずつ拡大する

世の中が変化する時、英雄が生まれやすい。

インターネットによって、多数の企業が生まれたが、
堀江さんと、孫正義さんのたどった道の違いもおそらく器の違いだ。

堀江さんも孫正義さんのような大きな器があれば、
ライブドアは今頃GAFAに匹敵するグローバル企業になっていたかもしれない。

堀江さんも立志伝中の人物なので、
私が語るに忍びないので、卑近な例に戻すが、
かく言う私も失敗している。

25歳で年収300万円の辛酸を舐めた。
30歳まではその生活に耐え、コツコツと物件を増やした。
リーマンショックで勤め先が倒産して、
銀行の子会社に入り、年収が700万円となった。
生活は変わらず、物件の取得速度が倍増した。
しかし、33歳でさらに転職して年収が増えると、
私のリズムは大いに乱れた。

物件の取得速度は年収700万円時代と全く変化せず、
一方で税務調査を受けてキャッシュアウトも続く。
それでも生活は改まることなく、
誤った資金の流出は10年近くに及んだのである。

幸いにして、家族の温情を得て、
私の乱れた生活もここへきて修正が入った。

感謝しかない。

私の器が拡大するには22歳から10年を要した。
もう1つ上に行くためにさらに10年をかけるべきところを、
小さな器に大量の金(カネ)を盛ろうとしたため、
器に入りきらない分は溢れて消えてしまった。

大いに反省だ。

私のような失敗をしないために、
若き賢明なる投資家を志す諸氏にあっては、
清貧に耐えることに努めてほしい。
清貧に耐えられるようになったと早合点してはいけない。

まだ早い。

清貧を楽しめるようになって初めて、
次のステージに進む権利がある。
ストレスを連れて次のステージに行くことはできないのだ。

日本の企業の勤め人は給与が少しずつ、少しずつ上昇する。
それはけして企業がケチなのではない。
従業員の器が大きくなるまで、
ゆっくり見守るためである。

感謝して薄給を押し頂こう。
薄給の2割を貯蓄して、残りの8割で生活を回すのである。

器が小さいままに、規模を拡大しないことだ。
常に自問しよう。
私は、この規模の収入を得る器があるだろうか?と。

つづく

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