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親としては無条件で子供を守らねばならない

子供が殺人を犯したとして

親としてはいかにすべきだろうか?
私が殺人を犯す可能性はかなり低い。

仮に息子が殺人を犯して逃亡していたら匿(かくまう)か?
という仮定で話を進める。
まず、私は匿うと思う。
匿った上で、事情を聞き、自首するよう勧める。
しかし、それでも逃亡を続けると言うのであれば、致し方ない。
私が通報することはないだろう。

息子は教育的な観点からあえて突き放すことはあるものの、
最期は救済の手を差し伸べるしかないのである。

刑法第103条には犯人隠避罪として
「罰金以上の刑に当たる罪を犯した者又は拘禁中に逃走した者を隠匿し、又は隠避させた者は、二年以内の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。」
とあるが、
刑法第105条では
「前二条の罪については、犯人又は逃走した者の親族がこれらの者の利益のために犯したときは、その刑を免除することができる

このように規定している。
法律も親族の愛情に関して配慮しているのである。
この法律があるから、ないからという話ではない。
人間の本能としてあるべき感情なのだと思う。

知識人ぶったり、常識人であろうとして、
当然人としてもつべき感情を失ってはならん。

ただ、息子との関係性も大いに重視される。
15歳で家を飛び出して音信不通になって、反社に加入して悪行の限りを尽くしてきたが、逃げてきたというケースではどうだろうか。
まあ、それでも匿うしかない。

さらに、親に暴力、恐喝を働いた過去があったらどうか?
私はそれでも匿うべきだとは思う。
しかしだな、私は人間性がそこまで磨かれていないから、
通報すると思う(笑)。

右の頬を打たれたら左の頬を差し出しなさいというアレな。
アレは言葉としては素晴らしいが、実行したら、
現代では身ぐるみはがされて奴隷にされると思う。

まあ、モノには限度ってもんが、ある。

子供が30歳過ぎてニートしていたらどうするか?

実際私の叔父がそんな人間だった、国家から支援を受けて、
40歳から最近死んだ60歳頃までニートだった。

祖父母はこの息子にどう対応したか?
結局家にいることを許して、ただ、生きながらえさせたのである。
追い出すこともしない。働かせることもしない。
ただ、生かした。ただ、死ぬまで生かしたのである。

この叔父は愚かにも、障碍者のくせに、家督を承継するのは俺だ!
と言っていたようだ。
家督も何も、祖父は農家の7人兄弟の末っ子で、
未亡人の家に養子に出されて、家も土地もないまま、シナ事変に従軍して、
帰ってきた。

農家の下請け、つまり小作人だったので、自分では田も、山も保有していない。
そんな家で家督も何もあったもんじゃない。
全て父親の代で買ったものである。
私の父親が買うことが出来たのは、人口減少が進む農村部で、田畑山林が投げ売りされているのを拾っていったに過ぎない。

話がそれたが、
障碍者の叔父と言うのは、障碍者な上に、家督を承継するのは俺だ!
と言うような狂人だったのだ。
当然、嫁など来るはずもない。
それでも結婚をあきらめられず、あろうことか。
シナ人の女を嫁に貰おうと動いたことがあるらしい。
シナ人の女が嫁に来ると言うことは当然、資産目当てであろうが、
広大な山林田畑は私の父親の名義だ。
そのシナ人の女もバカではないから、
資産がないヤツだと判明したら、さっさと逃げたらしい。

ここまでの大馬鹿息子なのだが、祖父母は彼を追放しなかったのである。
個人的には、ここまでバカだと追放が相当だと思うのだが、
普通の人であった、祖父母はそのように対応をした。

つまり親とはそんなものなのだ。

仮に私の息子がニートになったら、
3食と衣食住は提供するが、一人の社会人として自立することを促すだろう。
それは自分か、息子が死ぬまで継続するだろう。
ただ、贅沢はさせられない。
食事は当然質素、外食などもってのほかで、ゲームもPCも自分で買えと、
突き放すだろう。

生きる上での最低限の環境は与えるが、
その上は自分で何とかしろというスタンスで接する。

確率的には私の方が先に死ぬのだから、いずれはそうしなければならないのだ。

誠になってほしくない未来ではあるが、上記のような状況になることは
考えておくべきだと思う。

学校行ったら100点、就職して労働したら1万点
結婚して孫を見せてくれたらもう「神仏」として扱う

色々子供に期待する向きもあるが、半分不登校みたいな息子を持つものとしては、
学校に毎日言ってくれたら100点である。
勉強ができようができまいがどうでもよい。

就職して自分の世話を自分でできるようになったらもう、御の字であろう。
ましてや、このご時世に結婚して孫の顔まで見せてくれたらもう、神である。
要するにそれ以上はないということだ。

世の中には社会に出て成功して、親に仕送りまでする神仏もかくありや。
という人物がいるが、こんなものは望むべくもない。
(そもそも仕送りなど要らんのだが、その気もちが素晴らしいではないか)

3人の息子を持つ身としてはそのような心境である。
私の親も3人の息子を持つが、いずれも就職し、結婚し、孫が10人もいる。
これはもはや再現性のない僥倖(ぎょうこう)である。

前世ではさぞ徳を積んだのであろう。
残念なことに兄貴は東京の勤め人で玉砕して46歳で地元に帰ったが、
そんなことは誤差である。
5人も子孫を増やして帰郷したのである。
普通は限界勤め人で独身でどうしようもない状態で帰郷するものだ。

所詮は子供とは言え、別人格なのだから、最後の最後はどうしようもない。
任せるしかないのだ。
子供が所与の条件で戦い、自分の頭で考えて勝利するしかない。

親としては、アドバイスをする前に、自分が果たして人様(息子)に助言できるような
人生を送っているのだろうか?
この点を自省しなければならない。
明治大学しか出ていないくせに、息子に東大に行け、勉強が云々というのは
おかしな話である。
安月給の勤め人のくせに、大企業に入社して云々というのは、
どの口が言っているのだ?という話だ。

親はまず、自分の生き様を見せねばならない。
見せた上で、子供が必要と思えば聞いてくるだろう。
どうすべきか?と。
聞いてこないということは、
「親に聞いても無駄である」との判断が先行しているということだ。
聞かれもしない。その事実が全てなのだ。

まあ、子供の教育が何とかいう人がいるが、
お前の人生をまずは何とかした方が良いんじゃねぇか?
と、思う。

子供にとやかく言う前に自分のゴミみたいな人生を何とかしなければならんのよ。

をはり

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