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米の一粒も作らない私という人間がなぜ豊かに暮らせるのか?

私の勤め人仕事「金融」

生産者という言葉がある。
まさに生産する人である。

弥生時代から現代に至るまで、
米農家という生産者がいる。

弥生時代はそれこそ「一家総出」で米作りをしていた。
1人が2人分の米を作るのがせいぜいだっただろう。
子供や老人は労働力として機能しないこともあるので、
1人が2人分作らなければならなかった。

不作があれば、飢えて死ぬ人間もいた。

しかし、現代はどうか?
私の父親は米を作っているが、
兄、私、弟、叔母、叔父に米を無償でプレゼントしている。
更に余った分(こちらの方が多い)を農協に売っている。

6世帯、30人近い人口を1人の70代の老人(+機械)が生産しているのだ。
すさまじい「生産力の向上」である。

豪農であれば一人当たり、100人の人口を養うこともできる。
つまり、論理的には99人が遊んで暮らせる社会なのである。

現実的には、
余剰となった99人が、本来食べる必要はない、牛、魚、料理、流通といった商売に従事する。

更に余剰になった人が「エンターテインメント」という娯楽を提供するし、
統治者である「政治家」「天皇家(貴族)」と言った特権階級も存在する。
工業によって利便性を提供する人も誕生するわけだ。

そして、私も従事する「金融」という、
「コメの1粒も作らない」
業に従事して、結構な高給を得る人間が登場するのである。

貸家も誰かがカネを出し、損をしたから持てるのだ

私は金融業に従事する勤め人である。
それも商売のタネは「不良債権」だ。

銀行が信用創造により、
無からカネを産みだし、生産者に貸し付ける。
回収不能となって売りに出した債権を、
買い取る。

買取価格は回収可能額を現在価値(NPV)に引き直した金額だ。

銀行も米を1粒も作ってはいない。
私もそうだ。
金融業というヤツは何の原価もないまま、
生産者の利益の上前をハネる商売である。

株屋、保険屋もこの亜種であり、
必ずもうかる。
経営者をやるならこの分野に限る。
(ただし、この分野で勤め人をすると、原則、激務だ)

私や多くの大家のプレイスタイルもこれに似ている。

一般庶民が高値で購入し、さんざん銀行や建設会社を設けさせたうえに、
4,000万円で買った家を、残存価値(土地値)の500万円で買うのが基本スタイルだ。

これを適当なリフォームを施して、
賃貸する。

そう、私の大家業も、誰かの損を自分の利益に転換しているだけなのだ。

米の一粒もつくらないどころか、
勤め人としても、大家としても、
誰かの損を自分の利益にする。

ハイエナのような人間である。

聖丁も証券マンだったと言う。
親父殿も銀行マンであったらしい。

その点でやはり目を付けるポイントが金融的である。
大家業を「金貸し」と喝破したのはまさに慧眼だ。

社会を支えているのは生産者である。
大多数の生産者のうちで、知性が劣る者から、
奪うのが最も利潤が大きい。

そして、生産力、利潤が「知性が劣る者」にも配分されるからこそ、
「知性が優る者」が奪うことができるのである。

悲しいけどこれ戦争なのよね

スレッガーさんの言葉をかみしめる。

悲しいけど、これ、資本主義ゲームなのよね。

という話である。
生産者の立場は多数の人が参入できるから、
過当競争となって、利潤が消え、労働力再生産ギリギリまで追いつめられる。

農家は、肥料、農機具、種など、
大企業が利益を根こそぎ奪う。
しかし、政府としても最低限の生産力を維持しなければならないから、
補助金を出す。
それすらも狙い撃ちにして、企業は農家から奪う。

ヘタを打った企業は、
私の勤め人稼業である、「不良債権屋」に食い物にされるのである。

これは戦争だ。

銃ではなく、金を握りしめて戦う戦争なのだ。
戦争ならまだマシである。
農家が団結して、奪う側を殺せばいい。
農家の利潤は拡大するだろう。
実際にマルクス主義が目指したのはそこだった。

しかしだな

民主主義と結託した資本主義ゲームでは、
資本家を殺せないのだ。

あくまでも頭脳が最も有効な武器となる厳しい世界だ。

ちょっと前までは
「勉強」すれば賢い側に行ける。
と、信じられてきた。

しかし、

最近では頭脳の性質は先天的に決まっていて、
努力しても大差ないという説が主流である。
そして、「努力できる才能」というヤツも先天的に決まっているらしい。
もう救いがない世界なのだ。

そうして、戦争がなくなった世界では、
賢い一握りの人間が、全ての富を集めてしまうような地獄になってしまった。

今(2023年)ロシア VS ウクライナ、イスラム VS ユダヤの戦争が始まっているが、
これは資本主義ゲームの敗者と、勝者の代理戦争なのかもしれない。
この戦火は拡大するしかないのかもしれない。

結論

何が言いたいかというと、
私はたまたま、成功者の言葉を読み、聞き、成功する能力を先天的に授かっただけだ。
ということである。

私が先天的に頭脳が劣っていたら、
生産者となって、搾取される側になっていたのだ。

申し訳ないが、
私はこれまでと同じように金融業界の勤め人として生きながら、
同じように割安な戸建を買い、貸す。
同じように生きる。
息子達にもそれを教えて、資本家階級が世代を超えて、
固定化するように仕組みを作る。

私がこの資本家側から降りたとしたら、
私と同じような程度の人間がそれに座るだけだ。

世界は満員電車なのだ。
席が空いたら、それを待っていた人が座るだけの世界だ。

最後に1つ

武士の情けという言葉がある。

満員電車にもシルバーシートが3%(適当な数字)程度設置されている。
弱い人を優先的に座らせろ。
というヤツだ。

資本主義の世界にも生活保護がある。
このわずかなオアシスまで、資本家が取り上げてしまうことは避けなければならない。
それはパターナリズムと言ってもいいが、
本音を言えば、弱者が団結するのを避けるための安全装置だ。

それは強欲的な資本主義の結果、
共産主義というアンチテーゼを産みだしてしまったことによる反省である。
共産主義に勝利したからと言って、
これ以上強欲的な資本主義を進めると、さすがにヤバイ気がする。

日本人は大人しいが、
限界を超えると、米騒動は起こすし、日比谷焼き討ちもやる。
それにおされて2・26事件なんてモノも起きるし、
ヤケクソになってアメリカと戦争までしてしまう国民性だ。

やり過ぎはよくない。

あなたが知性ある、資本主義の勝者であるならば、
猶更、あえて勝ちすぎないことをお勧めする。
戦略的に負けることが大事だ。

これは自分と、自分と同種のあなたに宛てた警告である。

つづく

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