先週末に他界した
祖母が98歳にして死んだ。
急遽、帰省してきた。
とはいえ、98歳である。
死に際に教訓を残していってくれたので、
記録しておく。
祖母は95歳まで一人で暮らしていた。
92歳までは、精神分裂病の息子と最後まで暮らした。
ついでに93歳の時に祖母の次男の叔父も死んだ。
こちらは間違いなく過労だ。
精神分裂病の叔父は66歳、過労の叔父は73歳で死んだ。
4人の子供のうち二人を先に失う程、長生きしたのである。
この点は別に悲しいことではない。
私も息子らを見送る程、長生きしたいものである。
さて、長年祖母の懸案は精神分裂病の叔父であった。
末っ子だからカワイイと思っていたのであろう。
この叔父は私が中学生になるまで、私もヤツと同居していた。
子供ながらに、『この叔父はなぜ家にずっといるのだろうか?』
と疑問に思っていた。
精神分裂病だったが、しばらくは日雇いの工事などで働いていたし、
父親や祖父と共に、稲作に従事したり、牛の肥育も手伝っていた。
しかし、嫌々労働しているのが子供でも分かった。
不機嫌になって甥である、私、兄、弟にイヤガラセをよくやっていた。
ギャンブル好きで、いつもパチンコに行っているダメな叔父だった。
祖母はこの叔父を溺愛しており、
曾祖母をイジメ、母をイジメた。
これは今になって理由が分かる。
分析するに、
母の子3人、つまり私と兄、弟は、マトモな子供である。
3人ともマトモだ。
いずれも結婚しているし、生業を持っている。
私などは特に傑出しており、高校から下宿して進学校に通っていたのであるし、
国立大学は落ちたが、東京の大学に行った。
それが疎ましかったのだと思う。
自分の子供は頭が狂っているのに、
嫁の子供はいずれも聡明。
自分のDNAが劣っている。
と、子供で証明されているような心理なのかもしれない。
特に母と祖母は他人である。
これが、実の娘の子供であれば、また違うのであろうが、
母と祖母の確執の原因はここにある。
マスオさんはOKだが、
男側の家に嫁として入った女性というのは苦しむ傾向にある。
ちなみに曾祖母は子供がおらず、
曾祖母の旦那は身体が弱くて38歳で死んでしまった。
子供は1歳で死んでしまっていたから、
祖父が養子で入ってきた。
それがSAT家の始まりである。
つまり、先祖を遡っても、私から数えて3代しかない。
要するに「どこの馬の骨かもよく分からん」
その程度の血筋だ。
特に害のない曾祖母までイジメ倒していた理由はよくわからない。
(若い頃なんかあったのかもしれんが)
母親が看護師で働いていたから、
私は曾祖母に育てられた。
祖母はいつも労働していたから、
孫の育児などしなかった。
祖母の残した教訓。
2世代同居、特に男側姑と嫁の同居はうまくいかない。
軋轢を産む。
これである。
娘の子は分娩によって遺伝子の連続が保証されているのだが、
息子の子は100%遺伝子の連続が保証されない。
科学によってそれは証明されるのだが、
人間の本能は科学を理解しない。
やはり孫は嫁側のババにかわいがってもらうのがいい。
生物として正しい行動だ。
私の子は3人男なので、妻は、孫を本当の意味でかわいがることはできないだろう。
申し訳ない。
教訓その2、「終末医療」
祖母はコロナに感染して、
病院に搬送された。
そこで3日連続で何も食べなくなったらしい。
老衰で死ぬときには、
犬でも猫でもそうだが、
何も食べなくなる。
そうやって骨と皮になって死んでいく。
まさにその段階に差し掛かった。
ここで医学は1つの対策を持っている。
胃ろうである。
そもそも噛む、飲み込むという行為ができないので、
噛む、飲み込むというプロセスを人為的に行って、
流動食にして胃に流し込むという治療(?)を行う。
これは延命と言えば聞こえがいいが、
本人がもう死にたいと思っているのに、
無理やり足を引っ張って、この世に留まらせるような行為だと思う。
これを続けたら、死ぬに死ねない。
結局寝たきりのまま、内臓の機能が停止するまで、
まさにゾンビ状態で生かされることになる。
ただ、父親はそれを拒否。
そのまま、食べられなくなり、呼吸がとぎれとぎれになり、
呼吸が止まる時間が長くなって、心停止した。
それでいいのである。
祖母からしても、懸案であった精神分裂叔父が死ぬのを見届けた。
この世でやり残したこともなくなったのであろう。
「もういいな。逝くか」
と、おそらく思っていたことだろう。
それを現世に引きずり戻す意味はない。
私としては、育ての親(曾祖母)と実の母親をイジメ倒してきた、
祖母なので、今でも正直、「地獄に行ってほしい」
と、思っている。
悪人だと思っている。
性格も悪い。
実際私の母親は実家から追い出されている。
ただ、父はいい男であり、
離婚するわけではなく、母親について一緒に家を出た。
本当に優しい。
私もまだ高校生、弟も中学生だったというのもあるだろう。
ここで離婚していたら、間違いなく子供は母親側についてしまう。
別に母親のためというわけではなく、子供と縁が切れるのが嫌だったのだと思う。
私でもそうしたと思う。
話がそれたが、悪人でも、穏やかに死ねるのだな。
と、変に納得した次第である。
逆に父親が、「命してくれ!」
と、言っていた方が祖母も苦しんだであろう。
私も祖母は嫌いであるが、
「苦しんで死ね!」と、思う程恨んではいない。
一応あれでも父の母であり、
私のDNAの1/4は、あのワル祖母の遺伝子である。
結果、良かった。
祖母が残した教訓その2。
老衰で死ぬ前には、食えなくなって、眠るように死ねる。
これだ。
私も祖母のように100歳まで生きたいと思っているが、
死期が迫ったら、延命はやめて欲しい。
もう90歳になったら延命治療不要!
と、入れ墨でも腹に彫っておきたい程である。
教訓その3、火葬場で直葬、墓不要、戒名不要は無理だ。
私としては、戒名やら、墓やら、葬儀などは面倒極まりないと思う。
しかし、祖母の葬儀を見て、これは無理だな。
と、思った。
通夜、葬儀、の記帳には100名を超える名前が書かれたのである。
町の人口は5,000人だが、人口の2%に相当する人間が来たのだ。
兄弟は殆ど死んでいるが、それでも妹が1名、兄弟の子が10数名、
孫が多数いる。
この婆さんを直葬、墓不要、戒名不要で送ることは、できない。
親戚からボロクソに叩かれることになるだろうし。
おいおい、あの家はさすがにモメるだけのことはあるな。
葬式もしないんだとよ!と騒ぎになる。
田舎では私のような思想(直葬、墓、戒名不要)は、妄想だ。
そんなことは出来るわけがない。
実際、私もあと50年も生きてしまったら、
子、孫、兄弟、兄弟の子ら、世話してやった人が多数できるだろうから、
死んだことも知らせず、「すぐに燃やして散骨しました。
墓も仏壇もありませーん。」なんてことをしたら、逆に遺族が面倒なことになる。
私の思想は空想かもしれん。
今から努めて人間関係を疎遠にしていけば可能かもしれないが、
死ぬ間際の理想のために今を生きるのはナンセンスだ。
遺族がやるべきだと思ったようにさせるしかない。と、
考えを改めた。
死後は具合が良いように好きにしていい。
死後の身体はもう遺族のものだ。
私は当分転生はせず、天国に留まるつもりだから、
死後は適当にやっておいてくれれば良い。
まとめ
嫌いな祖母なのになぜ葬儀に行ったか?
それは「世間体」である。
祖母の葬儀にも来ないヤツ。
そう思われても私は構わないが、実家を継いだ兄貴の顔もあるし、親父や母親の顔も立たない。田舎とは面倒なものだが、
だから参列したまでである。
それがなければ行っていない。
そんな悪い祖母でも教訓を3つ残した。
ありがたく受け取っておく。
➀ 嫁姑問題は遺伝子レベル、本能レベルの問題だ。そもそも一緒に住むな。距離をおけ。
② 老衰で死ぬ前には食えなくなる。それでいい。無理やり生きるのは苦しい。
③ 長生きするとしがらみが増えて、シンプルには死ねない。
以上3つだ。
私は120歳を目指している。
そのころには資産も100億は超えているはずだ。
叔父は震災復興のために、建築会社の役員として過労して、死んだ。
叔父は精神分裂症だった。それが死期を早めたが、
本来100歳以上まで生きられる強いDNAの家系である。
ほどほどに労働して節制していれば100歳までは余裕だろう。
実際、まだ祖父が103歳で施設に入らず、元気に畑仕事をしている。
ヒントはそこにある。
勤め人労働のストレスは死期を早める。
まさに人は皆、師である。
教訓を得つづける日々だ。
合掌
をはり

