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教育という商売

子供への愛ゆえに親は不採算な支払いをしてしまう。

教育産業というものは実に面白いビジネスである。
個人的には「占い」に近いと思う。

占いは結果に対する責任を負わないのであるが、
教育産業も結果に対する責任を厳密には負っていない。
確かに〇〇中学、〇〇大学合格実績〇〇名!
という形で、私の商売にカネを払えば、〇〇大学に合格できますよ!
という期待を与えているのは間違いない。

しかし、〇〇大学に合格しても、
その子供が幸福になれるか?
大いに疑問である。
特に子供の意思がマトモに形成されていない、
中学受験、果てには小学校のお受験なんてものは、
単なる洗脳された親の妄想にかられた行動に等しい。

さらに言えば国家ぐるみで、教育=絶対正義という様相すら呈している。

私も長男と共にこのクダラナイお受験競争に巻き込まれた被害者である。
それを踏まえてこの手の商売について考えてみた。

親の「誤った」認識を元に金を支払ってしまうという面白いビジネスである。

社会に出たと同時に2,000万円の学生ローンを背負っている

アメリカの学士(大卒)は卒業時に2,000万円の学生ローンを背負ってスタートしていると言う。

社会人スタートが2,000万円の純負債の状態からスタートさせられるのである。
金利負担を考慮すると、完済までに20年は軽くかかると思う。
大卒にそこまでの価値があるのだろうか?
私は大いに疑問だ。
日本はなんでもアメリカの真似をして国家を衰退させるので、
恐らく日本でもこの傾向は顕著になっていくだろう。

昭和までは大学を出て一流企業に勤務できれば、
一生安泰であったと言えたが、今は全く違う。
大した給料も払わず、60歳までこき使われて、退職金だってよくて3,000万円とか。
その程度である。それが学歴であろう。

払った金額を大幅に下回る価値しか提供しない商品を売ることを「詐欺」と言う。
まさに詐欺だ。

私は早稲田大学を卒業し、勤め人大家として、
平均的な勤め人の5倍近く稼いでいるが、それは早稲田大学の教育の成果ではない。
高校の教育でも、中学の教育のおかげでもない。
早稲田大学が素晴らしいのではなくて、
当時は、早稲田大学に入学してくる学生が優秀なのである。

試しに東大に合格した学生と、Fランク大学に合格した学生を取り換えてみたら良い。
そのFランク大学は就職、資格試験等で、トンデモナイ成果を出すだろう。
器は大事ではない。大事なのは内容物である。

よって東大卒でもアホはいるだろうし、
Fランク大卒でも稀に優秀な人はいるのである。

この点を誤解させて、
〇〇大学を卒業すれば優秀な卒業生の平均になれる。
とする。
親は子供を愛するがゆえに払う。
払うもんだから、値上げする。
値上げしても払うもんだから、借金させても払わせる。

資本主義に組み込まれた教育は本来の意義を完全に見失った。

俺は教育ゲームに参加するのをやめる!

考えてみたら、私の親はムスコたちに放置プレイを実施していた。
私に対して勉強をせよと命じたことは1度もない。
私が勝手に〇〇高校に進学する。
〇〇大学を受験する。
と言って、金を要求しただけだ。

なぜ私は小学生でまともな判断力もない息子にお私立中学受験を強要したのか。
それは「思考停止」していたからだと思う。
社会がなんとなく「正しい」と思っていることに流されてしまっていた。
自分の金儲けが優先で、世の中の空気ってヤツに流されていたのだ。

俺はこのゲームを降りる。
息子たちには自由にやってもらうことにする。

受験したければすればいいし、
宇宙に行きたければ行けばいい。
犯罪以外なら何をしてもよかろう。

ただ、教育ビジネスの客になるのはヤメだ。

今の私が今のままで高校生に戻るなら、
東京には出ない。
東北大学でヘラヘラ遊びながら大家の準備をする。
大卒後は適当なホワイト会社員になって仙台で勤め人大家をやる。
しみったれた生活をして勤め人卒業、専業大家になることを最優先するだろう。

そういうことだと思ふ。

教育ビジネスは客になるより、売る側に回りたいものだ。

をはり

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