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投資家たるもの孤独に耐えるべし

事業の成功のために

孤独は辛いものです。
人は社会的な生き物ですから本能的に一人では辛くなるのかもしれません。
しかし、私の持論ではありますが、基本的には孤独に耐えられなければ
投資家としての成功はないのではないかなと思っております。

投資家のみならず、ビジネスを成功に導く上でも孤独と友達にならないと、性向まで走り続けることは難しいかもしれません。
なぜならば、最終的な投資、ビジネスジャッジの意思決定には責任を伴い、自分以外の誰もその結果に対して責任を取ることはないからです。

しかし、責任はだれも取ってくれませんが、結果に対して批判をされます。
「そんな割に合わない!!!」
と、思うこともありますが、考えてみると大人になってからは何からなにまで、全部そうだったじゃないかと思いますが。

勤め人は無責任

勤め人はそもそも意思決定をする権利がほとんどありません。
極めて狭い範囲の業務権限しか持っていないので、
故意または重過失でもない限りは責任を取る必要がありません。
むかしファミレスでバイトをしていた時に私はヤクザに因縁を付けられたことがありまして、その際、店長が
「一緒に謝りに行こう」
とか、わけのわからないことを言われました。
そんなところに出かけて行って何をされるか分かりません。
その日のうちに私はバイトを辞めました。
バイトに限らず、勤め人の仕事での損失を賠償する必要もなければ、
2週間前に通告すれば会社を辞めることも簡単です。
周りに勤め人の知り合いしかいなくなると、
その例外的な「意思決定する必要がなく、無責任」の状況に慣れてしまいます。
しかしその状況は本来の姿ではないことを思い出さないといけませんね。

この世界に一人になっても不動産投資を淡々と行いたい

残念ながら私は不動産投資だけで生活を維持できる程の稼ぎもありませんので、いまだに勤め人を並走しながらの投資人生です。
そう遠くない将来は不動産事業だけで一本立ちする日が来るとは思いますが、その日が来ても、淡々と物件を調べ、投資判断し、資金調達し、運用するということをマシンのように続けていきたいと思います。
確かに一人では商売はできません。
管理会社、保険会社、ブローカー、銀行、金融機関など、さまざまな関係者とのコミュニケーションは必要です。
しかし、勤め人の世界の同僚のような薄っぺらい関係。
バイト仲間のような空虚な関係性は一切なくなります。
このような空虚な関係性がなくなることを私は「孤独」と勘違いしていたのかもしれません。

勤め人同志の繋がりは薄っぺらい

投資家としての能力が上がるにつれて、自分の昔からの知り合いとは話が全くかみ合わなくなってしまいました。学生時代や勤め人時代の人間関係は片っ端から斬り捨てざるを得ませんでした。
会話と言っても、昔の同僚の噂話が中心で、未来に向けた話なんかでたことがありません。
せいぜい子供の話や家族の話がチラっと出る程度で、まったく面白くもなんともないです。
そんな関係性を切り捨てて、私はblogの方に進みました。
この流れは不可逆的なものだと思います。
今後はより孤独を深め、外側ではなく、自分の内側と向き合う作業が必要だと思います。

家族も所詮は他人である

私は田舎の父親や母親、兄弟と1年に2,3日程度しか会わない。
おそらく親もあと40年は生存しないであろうから、せいぜい80日程度しか一緒にはいないことになる。
子供とは比較的多く会うが、大人になれば、私と父親のような距離感になることは容易に想像できる。
子供の将来にまでは、成人以降は責任は取れない。
所詮は一時的な関係だ。
妻とも本質的には他人であり、自分自身ではないし、別の人格である。
人は独りで産まれ、独り死ぬのである。
家族とはいえ、別個の個体だ。
だから、個人として尊重されなければいけないのである。
あたかも自分の永遠の関係性だと勘違いをして、親しき仲の礼儀を欠いてはならないと私は思う。

事業家、投資家としての自立は人が本来孤独であることを際立たせる

と、いうことを私は言いたい。
家族や勤め人というコミュニティに参加し、見失ってしまいがちだが、
人間は本来一人産まれ、一人死ぬ、孤独の生き物であることが本質であることは変えられない。

あたかも、野生の荒野で群れから独立したオスライオンのようなもの。
それが事業家、投資家であろう。
住み慣れた群れから抜け出し、自分だけの群れを作るもよし、完全に一匹オオカミ(ライオンの話だけど)として生きるもよし。
勤め人としての枠組みから離れることはそれに近い心理状態ではないかと思う。
その意味で先輩投資家たちはその洗礼を受けて自立しているのだなと尊敬の念を禁じ得ない。

まとめ

投資家としての自立が日々近づいている自分としては、どんどん孤独になっていく感覚が強くなっている。
その感情を今日はまとめた次第である。
Alone ではあっても Lonely ではないのであり、
I Love Aloness.
ここまで行きつければ最高だ。
ま、現代はスマホがあれば孤独はほとんど忘れられるけどね!

をはり

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