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子供の人生に口を出さない

妻は子供が寝るまで子供にイラついている

私の妻は美人であり、
優しい妻なのであるが、
子供に対しては厳しい。

脱いだ服を片付けない。
食事の食べ方が汚い。
宿題をしない。
給食のエプロンを出さない。
洗うべき上履きを金曜日の夜に出さずに、日曜日の夜に出す。

小学校1年生の次男、小学校6年生の長男に対して
厳しく対応している。

妻が子供に怒っていると、
愛が故についつい私も妻の味方をして子供に怒ってしまうものである。

だが、最近は努めて子供がやるべきことをしないことに対して
指摘することをやめた。

義務教育とは誰の義務か?

学校で学ぶことは子供の権利だ。

確かに日本国民には
勤労、納税、教育という3つの義務がある。
しかし、教育の義務とは?
義務教育とは?

言葉の定義をハッキリさせておこう。
教育の義務とは
親が子供に教育を「受けさせる」義務である。

子供が学校に行きたい!と言うのに行かせないで働かせる。
ということを禁じるのであって、
子供が学校に行かなければいけない。
という子供の義務ではない。

あくまでも義務を負うのは親なのだ。
親の義務である以上、この権利を享受するのは子供である。
権利である以上放棄しても構わない。
と、私は思う。

親としては子供が行きたいならば行ける環境を整備する義務があるが、
行くことを強制する義務ではない。

これを前提とすれば、
子供が学校に行こうが行くまいが、親には関係のない話だ。
学校の宿題をサボろうが、
学校でやるべきことをやらなかろうが、
親が何かしなければいけないということはない。

例えば、学校の先生から
「〇〇君はちっとも〇〇で▲▲ですから、親御さんからも厳しく言ってください」
と、言われたとする。

それでもなお、親が子供に何かを強制するのは間違いだ。
教師から指摘された事実を子供に伝えるまでは構わない。
学校でのルールに従うべきかどうか?
親としての私見を述べるまでは構わない。
しかし、怒ってはならないし、何かを強制してはいけないと思う。

やらずに一回怒られてみればよい

宿題をサボってみれば良いのである。

遠足の準備をやらずに遠足に行ってみたら良いのである。
学校の要請に逆らうとどうなるのか?
それを身をもって知った上で、次から子供がどうするのか?
そこが大事だと思う。

給食のエプロンを洗わずに次の人に渡したとしよう。
「おい、〇〇、汚いまま俺によこすんじゃないよ!」
と、言われるかもしれない。
若しくは自分が汚いまま、クサイエプロンで給食当番をする側になるかもしれない。

それも学びであると思う。

洗わなかった側はそれをした結果、どうなるのか?知ることができる。
洗わないエプロンを受け取った側も、嫌な気分になり、洗わないようなルーズな人間が世の中にはいる。という事実を知り、対処法を考える。
学校の中で生じるトラブルこそ、彼らにとっての学びなのだ。
社会に出る前に一通りそれらを学ぶことにこそ意義がある。

親と教師がしゃしゃり出て何でもしっかりやることに何の意味があるだろう。
トラブル大いに結構。
是非、子供たちにトラブルを味わってもらい、
社会に出た時にはもっとトンデモないトラブルに味わうであろう、
経験をさせるべきなのだ。

教育の目標とは子供が社会への自立である

教育の最終目標は、子供が社会人として自立することである。
社会と調和して生きるよう成長してもらうことである。

つまり、親が死んでも自分の力で社会と折り合いをつけながら
生きる力を持ってもらうことだ。

それを学ぶための学校である。
国語算数理科社会の学力など2の次である。

受験勉強などは極論、どうでもいい。
最低限の教養は身につけておくべきだが、子供がそれを不要と言うのであれば強制はできぬ。
一般常識を持ち合わせないままに社会人となった場合のメリットデメリットについて、
親としての私見を伝えたら、それを聞いた上でどうするかは子供の判断事項である。

彼らが社会で自立して暮らせるように成長させることが重要である。
そして、その教育の義務は15歳で終わりである。
あとは自分で人生を決めて生きたら良い。
高校に行きたければ行けばいいし、
すぐに起業したければすればいい。
引きこもってゲームがしたければ(親からの支援を受ける前提だが)ニートでいれば良い。

ニートであることを選択するのは子供の自由だが、
ニートの息子に金を出すかどうかは親の自由だ。
義務教育まで受けさせたら、逆に親にも義務はない。

成人までは息子の違法行為の責任を負わされる可能性があるから、
その範囲では義務が残るが、民事上の不法行為に対する賠償義務を負うまでの話。
警察に親が逮捕されることはないのである。

私は息子を塾にいかせることをやめた

結局なにが言いたかったかというと、
長男は4年生からSAPIXに行かせたが、
次男、三男は行かせないことに決めた。

勉強もさせないし、ひらがなカタカナすら教えない。
知りたければ自分から教えてくれ!と言うまで待つことにした。
モチロン本人が行きたいと言えば行かせるが、
私からいうことはない。

読み書き計算もできないと困るのは確かだ。
しかし、
それを一方的に教えたりもしない。
読み書き計算ができないことを恥だと思うようなシチュエーションを作ったりはする。
「え?〇〇(次男)、お前カタカナ読めないの?」と嫌味を言ったり、
「全部読めたら1,000円やる。」と言ったマネーチャンスを作ったりはする。

あくまでも子供の自由意思からの学習意欲でなければ全く意味がないと思う。

私の子供時代

ちなみに私は学校の宿題をしなかったことはない。
忘れていても授業の前の数分で終わらせて間に合った。

夏休みの課題は初日、遅くとも2日目には全て終わらせていた。
親に勉強をするように言われたこともない。
忘れ物はしたことがあるが、それも良い経験だ。
忘れたことを恥として思い、どうしたら忘れないか?
それを考えることができた。

残念だが、私の妻は始終息子達の行動を監視して指導しているので、
彼らはその必要性を理解しないまま、
親が怒るから、という理由で全て動くようになるだろう。
自分の意思で動き出すまでには、
肉体的に妻を凌駕するまで、即ち中学生まで待たねばならぬだろう。

ただ、勝手に子供の人生に介入しておいて、
忙しいとか、私が何もしてくれないとか言うのはマジで勘弁してほしい。
勝手に自分で庭に石を運んできておいて、
私に「遠くへ捨ててこい」と言っているようなものだ。
巻き込まないでほしい。

つづく

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