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叱る、褒める

アドラー心理学の基本概念

課題の分離と並んで、
叱らない、褒めないという横の関係を重視するアドラー心理学。
子供の教育に適用するのが最も難しい。

私も息子達には、しからない、褒めないというスタイルで接している。
しかし、それでもなお、
勉強を頑張った時にはエライ!と、つい言ってしまうし、
感情的になって我を通そうとする息子に対しては叱りつけてしまうこともある。

叱らずに言う事もできるのにそれができないというのは
齢(よわい)40にもなってハズカシイ限りである。

残念だが、賢い子供は一部の大人をバカだと思っている

残念だが、これは事実だ。
私も小さい頃に賢い大人と、バカな大人を分類していた。
親は信頼できるが、賢い人間ではないと思っていたし、
親戚には比較的賢い人間もいたが、概ね自分よりは馬鹿だと思っていた。

感情的に叱る私を見て、三人の息子は私のことを
『愚かな父親であり、扱いが面倒くさい。
経済的にはまだこのバカ親父に依存せざるをえないから、
まあ従うしかあるまい。』
そんなことを考えている可能性がある。

逆に賢くない子供であった場合には
感情的に叱っても
「この親はなにやら怒っている」
と、思うだけで何も改善にはつながらない。

叱られる相手の知性に関わらず、
感情的になるのはどうやら非合理的だ。

社会人褒めがち問題

社会人になると本音と建前が多くなる。
私も同僚が億近い都心のマンションや新車の外車を買うのを見るたびに、
「コイツは経済的返済42だな」
などと内心思っている。

それでも
「おーいい場所に買ったねえ」
「いやー新車いいなー」
などと、思ってもいないことを言う。
そして相手が嬉しそうにしているのを確認する。

相手も恐らく私に対しては
「こいつはいい歳こいて会社の社宅制度に寄生して、
車も持っていない。出世に興味がないフリをしている
スカした野郎だ」
と、思っているかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
相手の心は分からないものである。

しからず、褒めず、困った時にはサポートする。とだけ言う。

結局仕事、友人、親子、夫婦と人間関係によって
違った対応をすること自体が誤りだったと思う。

天皇陛下であろうと、
0歳児であろうと、
対応を分ける必要はない。

振舞いや、かける言葉の種類はことなるかもしれないが、
お互いは対等である。
相手の課題と自分の課題を分離した上で、
適正な距離感で短い人生を共に進んでいこうと思う。

まとめ

こんな話題を書いたということは
週末、自分の対応が子供に対して間違っていたと反省しているからである。
長男2回、次男2回、三男1回程度、叱ったと思う。
褒めたのも3回程度あった。

褒めない、叱らないというのはなかなか難しい。
私は人生とは魂の修練であると思っているので、
日々これ努力である。
ビジネスマンとしての対人関係はできていると思うのだが、
家族、特に子供は難しい。
妻は離婚すれば他人だが、息子達は死ぬまで親子なのでなおさらである。

以上

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