サイトアイコン サラリーマンと不動産投資

勤め人=経済的不自由ではない

経済的自由とは

経済的自由を獲得する。
このフレーズには魅力がある。

そして多くの人がこれを目標に掲げて挑戦を始めたり、
始めようとしたり、諦めたりする。
私もその一人である。

経済的自由を獲得する度合いも様々で、
聖丁師匠は勤め人を切り上げて、発信をし、
オーナー経営者になった。

著名な大家も勤め人を辞め、
規模の差はあれども、それぞれに自分がやりたいように生きている。
(中にはまだ自分探しをしているように見える人もいるが)

私は勤め人を卒業するまでの規模にはならず、
未だに勤め人をしながら、大家業も片手間に楽しんでいる。

なぜ、同じ経済的自由を目指しながら、
生き方がこうも異なるのだろうか。
先ずは、言葉を明確に定義しなければなるまい。

無論この場では私の定義になる。
私は経済的自由を
「自分独力で制御可能な収入だけでその人の生活を維持できる状態」
と定義する。

自らの完全なる自由意思制御できる収入とは何か?
家賃収入、配当収入、売上高である。
厳密にいえば、家賃も空室のリスクはあるし。
配当収入も投資先企業が配当を停止したり、減配することもある。
下請け仕事ばかりしている企業の売上は発注元の動向に左右される。
ラーメン屋の売上だってお客様次第だ。
しかし、「自由意思で制御できる」と言う点が異なる。
家賃収入を制御するには、
賃借需要がある場所で経営することにある。
配当収入を制御するには、
経営状態が悪くなる前に投資先を変更して安定的に配当を出す企業に投資を切り替えることで対応できる。
売上高であれば、「うまいラーメン」と言う商品力。
大手企業から発注を受けられなくなっても、
他にも取引先がある状態になる。
つまり作っている商品が売れるということである。

家賃の競争力もある意味商品力であろう。
(立地、設備、住みやすさ)
投資の場合には投資家自身の判断能力とタネゼニ。
ラーメン屋であればラーメンのうまさ。などなど。

経済的自由とは自分が制御できる収入だけで生活できる状態だと私は定義する。

私の勤め人としての競争力

経済的自由に憧れる人間が迷う瞬間がある。

経済的自由を目指していると、
「あらゆる勤め人」を否定してしまう。

しかしながら、
ゆるふわホワイト高給勤め人が幸せそうにしているのを見ると、
経済的自由を目指す人間は迷ってしまうのである。
「あれ?こいつは勤め人なのに自由だぞ」と。

そう、自分が制御できる収入だけで生活できる状態。
であれば、
勤め人としての人生をある程度制御できれば、
それはそれで、経済的自由に限りなく近い状態になるのである。

単に経済的自由を勤め人卒業と定義してしまうと。
勤め人は不自由になってしまう。
しかし、東大卒、英語堪能、コミュ力高い人間は、
65歳まで勤め人に困ることはないだろう。
65歳で引退した時、2億円の金融資産があったとして、
あとは悠々自適に100歳まで楽しく生きたら、
私はそれは「自由」だと言えると思う。

そう、私は「勤め人という(ある程度)制御可能な収入源があり、それで生活できる」
のであるから、経済的に自由な状態にある。

勤め人を卒業する人は、
ある意味不幸だと言える、
制御不能な収入だと認識してしまったからこそ、
卒業したのだ。
割に合わん。と、思うこと。
こんなことをするくらいなら事業だけで生きる。という選択権を行使するのである。
これによって人は勤め人を辞める。

私は勤め人としてソコソコの競争力を持っていて、
ホワイト企業で働いている。
ストレスはない。
よって勤め人を辞めないのである。
恐らく高ストレスの状態に変化したら、
私は必死で抵抗し、家賃収入を増やし、
勤め人を卒業する方向で必死になると思う。

若しくは収入が落ちても、ストレスの低い債権管理の仕事に転職して、
並行して家賃収入の割合を増やすだろう。

これができるのも、学歴がそれなりにあり、
法的、任意交渉における債権回収の知識と経験という勤め人としての商品力がある。
ということが裏付けにあるのである。

残念なことに、私の持つ能力は「勤め人」にならなければ、
全くもって使い物にならない能力である。
債権回収だけをする商売と言うのは「弁護士」にしかできないルールになっている。

この知識や経験を使って起業するのであれば、
弁護士になるか、サービサーを起業するしかない。
私が20年以上積み重ねてきたキャリアは、勤め人でしか使い物にならんものだった。

「勤め人としてどこでもやっていける」というのも商品力「ではある」

勤め人として、勤め先が倒産しても他で働けるし、
潰しが効くと言うのは、
それはそれで商品力があると言えるのである。

無論、労働時間は長時間であるが、
その長時間が低ストレスであり、高給であれば問題ない。

勤め人だから悪いというのではない。
悪い要因は細かく見ていく必要があるのだ。
〇パワハラ 〇低賃金 〇拘束時間 〇人間関係 〇休暇の取りやすさ

などなど、勤め人=悪ということになるのであれば、
三菱商事を辞めて、イケ〇ヤランドに行ってブログを書いて生活した方がいいことになる。

ダイヤモンドを捨ててウ〇コを拾うようなバカな選択をしてしまう。
それはダメだ。
日本人は小学校から大学卒業まで
「勤め人として使いものになるように」教育されてきた。
特にそのレールに沿って「うまくやってきた」
人は、それしかない。
ビジネスセンスが優れているなら、
その分野で起業すればいいが、
それがない以上は勤め人をした方が良い。

自分を冷静に分析して
売り物が「労働力」しかない。のであれば、
まずはそれを好条件(低ストレスの労働)で売却するのが正しい経営戦略だ。

そして、その労働力が65歳まで快適に売れるのであれば
それに乗るのは悪いことではない。
下請け企業で大企業にいいように使われる起業をするよりは、
大企業で高給を得つつ、快適に勤め人をした方が良いのである。

さらに、
今の勤め先をやめても、引く手あまたの人材であれば、なおさらである。

「ホワイト高給勤め人で引く手あまた」
これは
「自分が制御できる収入で生活費を賄える状態」
と、言っても良いのである。

しかし、しかしである。

それでもなお、+アルファのビジネスが必要だ

それでもなお、
私は大家を続けることをおススメする。

確かに私も勤め人に「全振り」して、
勤め先の役員になったり、
より高給な企業へ転職する戦法もあり得る。

でも私はヒラ社員を続ける。
そして貸家を買う。
その理由は
勤め人役員という仕事の難易度の高さ。

これに尽きる。
他の勤め人をマネジメントしたり、
勤め先の収益に責任を持ったり、
難しい経営判断をする。
これらに比較して、ヒラ→役員で昇給する額が少なすぎる。
1,000万円も給与が増えるなら良いが、
そこまで増えない。
仮に1,000万円給与が増えたとしても、
税率43%。
法人税率23%で稼ぐ(=家賃収入を増やす)方が楽だ。

これは私の性格、能力、年齢によって自分で判断した結果なので、
読者の皆さんも自分の性格やキャリアに置き換えて自分で判断して欲しい。

しかし、いずれの道(平社員か、マネジメント社員か)に進むにしても、いくらホワイト高給勤め人だとしても、
+アルファのビジネス(大家など)はもつべきである。

インデックス投資で十分という稼げる人はそれでもいいが。

自分で制御できる収入とは言え、
勤め人という立場は、ビジネスオーナーと比較すれば
圧倒的に不安定なのである。
どう転ぶかわからない。
さらに勤め人としての労働力は年齢と共に低下する。
いくら優秀な勤め人であっても、
若く優秀な人材は下からどんどん上がってくる。
老化は絶対に誰もが逃れられない。

自分が劣化しても経営できる楽勝ビジネスの
大家や、自分がストレスを感じないビジネスにシフトしておくことが望ましい。

また、老後の人生も長い。
リタイア生活で消費だけで楽しむには長すぎると思う。
残念だが、人は、他人(社会)に貢献しているという実感が得られないと幸福感は感じられない本能を持っている。

老後の社会との接点という意味でも、
勤め人は+アルファのビジネスを持つことが望ましい。

結局自分の現状を肯定しまくる記事になってしまったが、
参考になったら嬉しい。

以上


モバイルバージョンを終了