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勤め人ができるしあわせ

サウザー師匠は勤め人が我慢ならなかった

サウザー師匠は、
勤め人という人生が嫌だったから自由になれたという。

私もその点には共感する。
しかし私は今勤め人を続けている。
だから私は劣っているのか?
不幸なのか?
その点が気になった。

イケハヤ尊師にしても、
天才前澤さんにしても、
勤め人という生き方は我慢ならない生き方であろう。

私は幸運にも、勤め人という生き方がそれほど苦痛ではない。
確かに、今の業界も50歳過ぎて第一線で戦える程甘くはない。
歳を喰って管理職になれないと、
私の場合にはちょっとした債権管理のオッサンになるしかない。
まあ、それでも年収500万円程度は稼げるだろうし、
その生き方が100%嫌かというとそうでもない。
ストレスが低い職場で、トイレに言っては物件検索しつつ、
Twitterを眺める人生も別に嫌いではない。

そう、私が勤め人を続ける理由は、
独立自営になるような気概がないからである。
そしてそれほど勤め人という人生が嫌ではないからだ。

この奴隷のよう、とも表現できる生き方ではあるものの、
かと言って100%リスクをかぶって生きるのもしんどい。
そんな中途半端と言えば中途半端な生き方もそれほど苦ではない。
むしろ有給休暇を取りまくり、土日も休める。
社宅で豪華な借家に住み、一流病院の健康診断も無料で受けられるこの立場は
極めて都合がいい。

ある意味では、
勤め人という生き方ができないサウザー師匠、イケハヤ尊師が
不幸だということも可能だ。
人は誰もが幸福になれるし、不幸にもなれる。
人はどんな人に対しても幸福だとうらやむこともできるし、
あの人は不幸だと、憐れむことができるのである。

最も不幸なのは、
自分がどう生きたいのか?
を、自問せずに、あの人がこっちだと言えばこっちに引っ張られ、
この人があっちだと言えばあっちに引っ張られる。
そんな主体性のない人生こそ不幸なのかもしれない。

私もそんなどっちつかずなところがある。

昨日は勤め人を卒業したいなと思ってみたら、
今日は勤め人も悪くないと思う。

ブログをやってネット芸人になろうと思ってみたが、
これをやるくらいならハイスぺサラリーマン続けた方がマシだと思ってみたり。

妻とケンカをすれば〇〇〇(自主規制)。
息子がバカをすれば子供は負債だと感じてみたり。

あっちへフラフラこっちへフラフラしてしまうものである。
サウザー師匠に日記を書くとよいと言われても、
書くことができない。
と、いう人がいた。
私も全く気持ちは理解できる。

そう、実際私はこの勤め人大家というライフスタイルが、
居心地が良くて仕方ないのである。
前澤さんのような大企業を作り、それを孫氏へ売却するような人生も、
正直うらやましいと思う。
しかし、その起業家という道を歩み始める根性もない。
その苦労をするくらいならば、
勤め人のまま、家賃がチャリンチャリンと積みあがっていくのを
ボー―――――っと眺めている方が楽なのである。

結局、やる人間とは、やらざるを得ない人間なのだなと思う。
サウザー師匠は、勤め人という生き方が、
私が逃げ出したブラック企業で勤め人をするのと同じくらい苦しかったのだと思う。

こんな場所で生きたくない!
という激情があればこそ、
人は新たな道に踏み出すのかもしれない。

檻の中のライオンにも2種類がいるだろう。
檻にいるとしても3食喰えるのだから、このままでいいと思うライオン。
檻を飛び出して飢え死にするとしても自由を欲するライオン。

サウザー師匠は自由をもとめたライオン。
私は檻にいながら安寧な日々を送るライオンという違いなのかもしれない。

つまり、私は、
専業大家という世界には行きたい、会社で働くことなく、
サラリー以上の家賃キャッシュフローを得たいと思っている。

しかし、そこに行くという努力を払うのは面倒くさい。
その努力を払う位なら、利回りが低くて高い物件を保有して、
エラソウに勤め人大家でゴザイマスと、情報発信をしたいだけなのである。

なんという中途半端な生き方か。

同僚には勤め人として役員に出世し、
さらに業績を改善させようと努力しているものがいる。

私はそんな意欲はない。
勤め人として100、大家として100稼ぐ方が、
勤め人として200稼ぐよりも楽だ。
勤め人として200、大家として1,000を稼ぐ努力などしたくない。

これは世間的には中途半端な生き方だと言える。
私が見てもどちらかと言えば努力してさらに多くを得ようとしている人の方が、
人間的に優れているように感じる。

しかし、
私は戦うことをしないだろう。
20代の頃、もっと年収が欲しいとダブルワークしていたあの頃。
熱かった、私は確かに熱かった。
その熱はもうない。
なぜならばそれはもう手に入れてしまったからだ。

勤め人という見る人から見れば地獄のような世界だが
私にとってはそこまで悪くはない。
今の仕事を自分で起業したとしたら、
私は100%失敗する。
ビジネスモデルをパクるというやつだが、
私が勤め人としてやっているビジネスモデルをパクるのは不可能だ。
私の能力では管理しきれないことも分かっている。

やはり大家業というヌルいビジネスを片手間で回しながら、
勤め人として生活保障を得ながら、小銭を稼ぐのが私には相応しい。

肯定的な諦めである。

私はイーグルにはなれない。
カラスなのだ。
カラスはゴミを漁って生きているが、極めて知能が高い。
ワシのように颯爽と大自然で狩りをしたいと思ったら最後、
イーグルに食われるだろう。

私はこのドブのような沼の中で、
溺れた獲物を狙うワニのように生きる。
それを積極的に肯定したいと思うのである。

私は猫だが、
ライオンになりたいとは思わない。
誇り高く、人間に飼われたいと思う。

をはり

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