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出る杭は打たれる

出る杭=18号物件

69,800円まで値下げした18号物件、コイツ!ちっとも決まらない。
玄関が室内にあって、靴を脱いで窓から入り、屋内玄関に移動しなければいけない。
という特殊性はあるものの、4DKもあって、アパート並みの家賃なのに。
決まらない。

何なら、後から空室になった、
千歳烏山のワンルーム物件の方が先に決まってしまう有様だ。
つくづく不動産は難しい。
手を抜いたら抜いただけしっぺがえし、が来る。

思えば猫多頭飼育で玉砕した物件の隣地もそうだ。
1,000万円投資して1万円/月の駐車場ができた奇跡の物件だ。
隣地を買えたはいいが、
壊して更地売すれば資金回収も早かったのだが、
結局1,000万円の借金は423万円まで返済が進んできた。

5年だぞ5年。
年利1.2%で5年も回してしまった。
逆ザヤに耐えて返済が進んだ。
機会損失はデカい。
同じ過ちの轍を踏んでしまった。

売却益は幻想であり、確定した取引以外は全て妄想なのである。
隣地だから買うという判断は悪くない。
判断は悪くないが、
隣地だからではなく、隣地で○○するから買いという投資判断をすべきだった。
売れば○○万円と言うならば、
売るための
その人の能力に値札が張り付けられたようなものだ。
売って、使ってもらって、価値が実感できる。
他の立派な人が積み上げた実績である、学歴を借りるから、
ソコソコの値段で売れる。

しかし、売れたところで役に立たなければ意味がない。
役立たずの商品は詐欺だと言われる。

まあ、話はそれたが、
1件だけ空室の18号、貴様は目立つ、目立つのだ!
今月は我慢するが、来月は6万に下げる。
もう利回り7.2%という過去最悪の物件になる。

勤め先の出る杭にならないように気を付ける。

有能な人よりも、優しい人の方が価値がある。
10人居れば2人は無能化するのが組織の宿命である。
無能な部下はいない。無能な上司がいるだけだ。

と、言ったはいいが、現実として無能な社員は追放される。
実際何度も、何度もこの目でその現実を見てきたし、
今度は自分がロックオンされたのだ。

©進撃の巨人「諌山創先生」

子供の無能を責める親は、
自分が老化して、役立たずになったとき、
成長した子供に無能を責められるだろう。

無能な部下をイジめる
自称有能な上司はいずれ老化して成長した部下に
その無能を責められるだろう。

悪循環に参加した者はその悪循環が一周回って
自分への厄災として降りかかる。

まさに今、その厄災を受けている私だ。
この厄災。
甘んじて受け続けよう。
悪夢の輪廻は私が引き受ける。

家賃と「太い嫁」がある私が引き受けなければならない。
私が消えれば、次の標的が血祭に上げられるだけだ。

別に誰かを守りたいという意識はないのだが、
この悪意を私が引き受けることは、
今まで私も同じように見下してきた、
同級生たち、仕事ができないとされてきた人からの「罰」だと思う。
この罰をしっかり受け止めることが、
私の勤め人としての最後の仕事だと思う。

世の勤め人の人にも言っておきたい。
同じ勤め人(それも平社員)の立場で、
同僚がダメだとか、できないとか、言ってはいないだろうか。
それは呪いの言葉なので、決して言わないことだ。

経営者であれば実害もあろうが、
同じ平社員の立場で相手を悪し様(あしざま)に言うのは、
別の場所であれば自分が無能になる。

という事実を忘れている。
別の世界線の自分に呪いの言葉を投げつけていることと同じだ。
いつか、何らかの形でその呪いは自分に降りかかる。
気を付けよう。

犯罪でも犯していない限りは、
平社員同士で、無能であって仕事が増えても、怒ってはいけない。
逆に守ってやる(転職を優しく勧める、異動を上申する等)くらいで
ちょうどいい。
逆に、本来、上に立つべき人とはそんな人だと、私は思う。

そもそも自分が出る杭(目立つ無能)にならぬよう注意しなければいけないのは当然であるが。

さて、

資産は197百万円、純資産は109百万円

話は二転三転する。
10月末の私の財務状況(推定)である。

昨年10月は178百万の資産、100百万の純資産だったので、
1年で
資産は178→197百万円
純資産は100→109百万円
それぞれ増加した。
年8%程度純資産が増えれば御の字だと思っているが、
9%増加している。

妻の資産規模の拡大は生活費の負担が全て私なので、
2倍速い。借金もないから猶更である。
年1,500万円程度増える。
それもキャッシュで。

1世帯で2,500万円程度純資産が増えている計算になる。

ある意味それは当たり前で、
そうじゃないと、勤め人卒業状態とは言えない。
税引後でこの程度増えてくれると非常に助かる。
卒業が現実的な数値になるということだ。

私が勤め人を卒業してしまうと、
この2,500万円を生活のために喰ってしまう。
喰ってもいいのだが、喰うと決めるのは、なかなか難しい判断だ。

学歴から数えて30年以上この世界(学生ー勤め人世界)で
頑張ってきたので、なかなか捨てられない。
「執着」という念なのだ。

この執着は、今、勤め人としての無能の烙印という形で
私の心を苛(さいな)む。
苛まれつつも、執着によって離れることができない。
この悪循環に悩み、苦しむことが、
私の現世に産まれた理由の1つであることは間違いない。
さっさと卒業しないのは理由がある。

苦しみ切らねば、
勤め人という世界から離れる資格が得られない。

つづく

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