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俺は初心を忘れつつある

2002年3月大卒の春

私が本格的に資本主義ゲームというヤツに強制参加させられたのは、
大卒1年目だったのだろう。
私は司法試験を受験して、3回落ちた。
大学4年卒1、卒2である。

司法試験の論文試験。
あまりの手ごたえのなさに愕然として、
第二新卒として入社できる企業をその日のうちに探し始めた。

ここまでだ。と。

2004年の11月頃に内定を貰った。
2005年4月入社だが、5か月はアルバイトで来たら?
という話になって、半年ほど、アルバイトとして働いた。

その当時の指導担当は当時32歳だったが、
今はその会社の役員である。

私はその後4回の転職を経て、
非常に良い会社で働いている。
まあ、言ったら悪いが最初に働いていた会社にい続けたら、
今もウダツの上がらないしょぼくれた勤め人だったと思う。
まあ、部下はいただろうが。

25歳から27歳の苦悩

25歳で就職した会社は年収380万円程。
今思えばそう低くもないが、30歳になってもおそらく600万円程度しかない。

私は焦った。
私の大学の同級生たちは新卒でいい会社に入っているので、
30代で年収は1,000万円を超える。

この勤め先ではどうしようもない。
と、そして何を思ったか、バリバリの営業会社(投資用不動産)の会社に転職してしまう。
転職したはいいが、朝7時から夜10時まで労働さえられて、
なんと給料は22万円だった。

営業成績を出せば確かに年収は2,000万円でも3,000万円でもいくのだが、
それがまあ無理筋だ。

売った物件の1.5%がインセンティブになるのであり、
私が10億円の不動産を売れば、確かに1,500万円貰える。
しかしだな。
その10億円の不動産が明らかに値付けが高すぎる。
当時の勤め先はおそらく6億で仕入れてエンドの投資家に10億で売ろうとしていたのではなかろうか?

そんな裏が見えてしまい、
私は投資用不動産販売会社をなんと半年でやめた。
そして、「世の中甘い話はない」と改心して、
再び借金取りの世界へ戻った。

そうこうしているうちに私も27歳になってしまった…。
ストレートで司法試験に合格していれば…
そう思ったことは1度や2度ではない。
しかし、当時の私は転職2回で就労経験2年という、
みっともないキャリアである。

拾ってくれた会社に感謝しつつ、
今持っているもので勝負していこうと決めた。

投資用不動産販売会社はブラックだったが

間違って転職した投資用不動産販社はブラックだったが、
社長が大京出身で、不良債権投資と不動産という、異色の組み合わせで売っていた。
私はなんかカッコええなと思って入社したのだが、とんでもない営業スタイルだった。

まあそれはさておき、
T社長じきじきのセールストーク研修は良かった。
客に話すこともあったが、
何より私個人に刺さった。

なるほど、不動産投資ってのはそういうことか!
という話である。
いつも例に出すが、

自己資金1000万円を7%の不動産で運用すると、年収は70万円

しかし、自己資金1,000万円と借入4,000万円で5,000万円で7%の物件を買うと、
金利は4%としても、年間160万円の利払いだ。
一方で家賃収入は350万円なので、
収入ー経費=350万円ー160万円=190万円。

同じ1,000万円なのだが、借入を使うことで、
利回りが7%から19%へ改善する。
というセールストークだ。

私に言わせると、当時は都心の区分でも10%以上のモノがあったので、
こういう物件を買えばよい。

バカを見つけて不動産を押し込む営業スタイルはちょっとなじめず、
私は辞めることを選択した。

それでも、不動産投資の基本的な構造を理解できたのは非常に良かったし、
不動産会社の営業を長くやって、「そっち側」の思考に染まることもなかった点は非常に良かった。

ホワイト低給与勤め人+副業役員の3年

27歳からはホワイト労働だが、低給与(年収500万円以下)だが、
ホワイトな勤め人をしつつ、友人と起業して役員報酬を得る生活になった。

28歳で妻と結婚したのだが、婚約指輪の10万円しか出せなかった。
結婚式は300万円ていどかかったが、
全部実家の両親が出した。
つまり、28歳で貯蓄ゼロから夫婦生活が始まったのである。
妻は妊娠しているし、貯蓄はゼロだし、不動産は欲しい。

この状態が私のスタートである。
それから16年で給与は3倍以上に増えたし、
家賃収入は1200万円を超えた。
総資産1.8億、純資産1億という状況にまで行きついた。

こうなってしまうと、
私は初心を忘れてしまいつつある。

だまっていても毎月50万円は貯金が増える日々だ。
当時からは想像もできない状況になってしまい、
私は当時のあの、断崖絶壁がすぐ後ろに迫ってきていて、
前に前に全力で走らないと、追いつかれて奈落の底に堕ちそうな感覚。
あれを忘れつつある。

ギャンブル大王のような落とし穴があれば、
簡単に私も落ちるし、
港区女子みたいな女と一発やってしまい、
「奥さんにいうよ、言われたくなかったら付き合い続けなさい」
という罠にでもはまったら、
一瞬で転落する恐怖は確かにある。

しかし、罠を罠としてある程度見抜ける年齢にもなってきた。

私はあの28歳当時の、貯金もなく、不動産もなく、
身重の嫁を抱えている状態。
それでもでも、不動産で成り上がろうとした決意を忘れてしまいかけている。

友人が個人事業(トレーナー系)で客が多すぎて
自分では面倒見きれないということを酒の席で話を聞いて、
これはビジネスになる。
と、ともに起業したあの日、5年近くも5万から15万円毎月報酬をくれた
友人には今でも感謝している。

私の年収が1,000万円を軽く超え、不動産でも300万円以上家賃が入ってくるようになって、
私は抜けてしまったが、私があの時、友人と起業した会社にフルコミットしていたら、
おそらく今は上場していた(笑)

再び歩き出すために

28歳無貯金むしろ借金あり。身重の嫁を抱えて走り出したあの瞬間。
あの熱量を私は失ってしまった。
3人の子供、世帯年収5,000万円月CF200万円である。
全員健康、障害児なし、夫婦ともに病気なし。
色々問題はあったものの、昨年解決し、順風満帆である。

3人の息子が全員東大に行くほど賢そうでもないことだけが唯一の心配であるが、
そんなものは貸家が一人頭2件もあればどうにでもなる問題だ。

そんな幸福のさなかにあって、
私はあの徒手空拳から始めたあの日の熱量を忘れかけている。
今、貯蓄ができないと悩む若者の悩みを全く理解できない。

自分も苦しかったはずだが、ホワイト勤め人と副業役員で稼いでいた。
なんでコイツらは何も努力せず、他人に弱音を吐くのだろうと、
疑問で仕方がない。

私は再び歩き始めなければならない。
何をするかはいまだに分からない。

今はただ、副業ホワイト勤め人を続け、
貸家業を拡大する。これしかない。

専業大家になったところで、
私よりすごい人間はたくさん情報発信している。
勤め人大家として悩み、生きることで誰かに何かを伝えたい。

一番伝えたいのは息子どもだが、
もう少し時間がかかりそうだ。

つづく




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