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依存症について

ギャンブル、異性、薬物そして仕事

私が勤め人を卒業したら、やってみたいことがある。
修行だ。

まずは1日、次に3日、さらに5日、1週間と、
過疎地の空家を借りて決めておいたメニューをこなすという修行をしたいと思っている。
勤め人、大家業、父親業など現世の勤めをやり遂げたら、
死ぬ準備として、修行に入りたいと思っている。
これまでの人生について書き(多分そこはPCで)、1つ1つの気持ち、物を捨てるなり、
他人に譲っていきたいと思っている。

最後は身も心も何も持たずに一人で旅立ちたいのである。

思えば人生45年やりたいことはやってきた。
学生時代は競争と挫折の連続であった。
野球もプロになりたいと思ったが、岩手県内でも私よりうまい人がゴロゴロいる状況を見て
さっさと諦めてしまった。
勉強に関しても司法試験を受験したが、さっさと諦めた。
私はプロ野球選手になりたかったのではない。
弁護士になりたかったのではない。

勝ちたかった、認められたかった、カネが欲しかったのである。
本当に「ただ好き」なのであれば、ヘタだろうが、合格しなかろうが、継続することができる。

その証拠に、私は大家業を続けることが出来ている。
なぜならば、「稼げる」からである。
勤め人も続けることが出来ている。
それも「稼げる」からである。
結局私は投資が好きなのだ。
自分が関与したことでカネが増えるのを見ていると楽しくて仕方がない。
知恵も湧いてくる。

しかし、カネを使うことにはさほど興味がない。
良いものを食べても、女性に使っても、子供に使っても、
むなしいだけである。

お勉強もできた。お勉強の延長としての勤め人もそこそこできた。
大家業もソコソコできたが、メガ大家にはなれなかった。
インフルエンサーとしても別に大したことはない。
運動もできた方だが、平均より多少良い程度のものだ。
結婚もできたし、子供もできた。

どの分野でも頂点こそは極められなかったが、
ヒトと比較することに意味がないことは分かっている。
良い人生だった。
いつお迎えが来ても納得して死ねるだろう。

一応子供が自立するまでは生きるが、それ以降の人生はまさに余生である。
やりたいことはやり切った。
後は現世で持っているものを置いて去る準備をするのみである。

そんな悟ったようなことを言っている私であるが、
今日のテーマである依存症には苦しんだ。

人はなぜ依存してしまうのか

私も酒、たばこ、異性、ギャンブル、仕事、ゲームなど。
一通りの依存症に苦しんだ経験がある。

タバコと仕事とゲームはまだ罹患しているが。

©進撃の巨人 諌山創先生

人は暇に耐えられないのである。

なぜか?
それは私たちが生まれてきたからである。
いずれ死ぬのになぜ生まれたのか?
という哲学的な問いがあるが、スピリチュアル的な考えかもしれないが、
「なすべきこと」を「なす」ために生まれたのである。

昆虫や動物は知らんが、人間はそうらしい。
どうやらなすべきことをなすために生まれるらしいので、
なすべきことをなさない、何もしていない、という状況が耐えられないのである。
その意味で、
「ただひたすらに壁を見るという拷問」があるらしいが、
これは究極である。

ある意味穴を掘って、穴を埋めるという無意味な作業をさせる拷問の方が良い。
いかに早く掘るか?
どうしたら筋力が鍛えられるか?
など考えられるからである。

ひたすら拘束されて不自由にされるのは非常に苦しいのだ。
そしてそれは私たちが人間であり、なすべきことをなせないことからの苦しみでもある。

しかしながら、人は自分が「なすべきこと」をハッキリと自覚できない。
そうなると、「なすべきこと」の代替手段として
「飲酒」「喫煙」「異性」「ギャンブル」「仕事」などの代替物に走ってしまうというのが私の考えである。

「飲酒」これは最悪だと思う。これと麻薬、薬物は延長線上にある。
脳を狂わせることで、「なすべきこと」を忘却させてしまう。
個人的にはギャンブルと双璧をなす危険な依存症だ。
脳にダメージが蓄積するという意味では、ギャンブルよりも危ない。

「異性」への依存。
これは食欲に対する依存のようなもので、生物としての本能が過剰に発現しているのだろう。
多分この依存症が強い人は、人間の人生が1回目か2回目の低次元の魂なのだと思われる。
近い前世は動物であり、あまり生殖に成功できなかった魂なのではなかろうか。
とはいえ、これも大変と言えば大変で、私も全く苦労しなかったかと言えばそうでもない。

特に10代は苦労した。
しかし40歳、50歳になってまで、異性に依存するというのは
何か決定的な欠乏がそのひとにあるのだと思う。
いわゆる劣等意識である。
前世なり過去で、相当なストレスを受けたのだと思う。
悟りに至るまでこの異性依存には向き合うしかないと思う。
ひょっとしたら人生あと1回、2回とやらなければいけないかもしれない。

いや、私だって今絶世の美女からアプローチを受けて、
それがハニートラップでない政府保証がついていたら、
どうなるか分かったものではない。
その状況になればわからない。

しかし、自分からわざわざ女性との出会いがある場所にノコノコでかけてしまうのは
かなりの依存である。
風俗に毎週何度も行ってしまうのも依存だろう。
私は風俗にはいかないし、嫁がいるのにあえて自ら愛人を探すようなことはしない。
うん、はい。相手から来てしまう場合にはちょっと困るが。
それはさておき。

異性への依存症というと病気のようだが、
私は酒や薬物と違って、コレは「なすべきこと」が「異性」なのだ。
と、思っている。

ドラマや映画で、死に別れになる恋人同士が
「来世できっとあなたを見つけ出す」
というような最後の言葉を言う場面がある。

アレなのだ。
アレを探し続けている可能性が高い。
だから、依存症なのか?それとも前世の恋人を探しているのか?
どちらかであるかもしれない。

そうなると、まさに人生でなすべきことが「異性」依存症なので、
解決策はその別れた魂に出会うことしかない。
ひょっとしたら一生出会うことがないかもしれないが、
そういう人生と割り切って、進むしかない。
酒や薬物と違って、これは治さなくていい。そのまま突っ走ればいい。

ただ、十分な貸家を買って財務基盤を作ってからやった方がいいだろう。

仕事への依存

これには2種類のパターンがある。

1つはカネへの執着
もう1つは名誉への執着

2つあるのだ。
両方というパターンもある。

カネだけに執着しているのは、
投資家に多い。
依存とは「なすべきこと」の代替なのでこれはこれで依存してもいいものかもしれない。

投資規模が100億円近くにまで増える投資家がいる。
そしてそれを相変わらず一人で投資しているタイプの投資家がいる。
この親玉がウォーレンバフェットだろう。
投資依存症だ。
分かりやすい人がいると説明が不要だ。
投資依存症であるが、この依存症は成功すれば、全く問題ない。
成功すれば、ね。

このタイプの投資家は組織を大きく作らない。
なんなら、一人でできるならそれに越したことはないと思ってさえいる。

それが2つ目のタイプとの違いだ。

2つ目のタイプは「名誉」「ボス猿的ポジション」を重視するタイプだ。
組織を大きくして、大企業にする。
政治家になって権力を目指すなど、
名誉欲依存症である。

これも別に「症」と付けるものではないが、
私は1つ目のタイプなので、
起業、社員の雇用など、考えただけで眩暈(めまい)を覚える。

特に経営者には利益を出して、
市町村に寄付をして、勲章をもらって、
さらにそれをSNSにUPするという名誉欲の塊みたいな人もいる。
これも依存症だが、成功者として賞賛されるので良い部類の依存症ではある。

恐らく前世では、ボスになれなかった猿のトラウマがあるのであろう。

筋トレ依存症

異性、仕事とならんで、依存症でもまあ問題ない、最後の分類がこれだ。
筋トレ(スポーツ)依存症である。

人生の「なすべきこと」が依存症の正体だといったが、
なすべきことの代替としての依存ではなく、
そのものズバリに依存しているのであれば、
問題ない。
むしろ良い。

ヒョロヒョロキャラの若者が筋トレに目覚めてマッチョ化していくのは、
ある意味でトラウマへの勝利である。
同時に、再び昔の自分に戻ってしまうのではないかという恐怖とも背中合わせだ。
ある意味これも魂の修練であり、
その人がこの人生で「なすべきこと」なのだろう。

ギャンブル依存

ツマラナイ賭け事への依存は代替である可能性が高い。
カードが好き、ブラックジャックが好き、心理戦が好きという場合には
賭け事全般に興味があることはないはずだ。

単にカネが欲しいだけなのかもしれない。
このタイプは仕事依存症に、依存先を切り替えることができれば、
よりマシな人生になるだろうし、
本来「なすべき」仕事の代替として、ギャンブルをしている可能性が高い。

是非切り替えて欲しい。

大家業をベースに事業家一族の祖となる

依存症とは人が本来なすべきことの、代替である。

この話をしたかっただけなのだが、
依存症も、中毒も社会的に「良い」とか「悪い」と評価されている違いに過ぎないと思う。
ボランティアだって依存症かもしれない。

大谷翔平などは100%「野球中毒」であろう。

人はそれぞれ「なすべきこと」を持って産まれてくるのだから、
しかたないことだ。

しかし、
その「なすべきこと」を成すために、
あった方がいいのが「家賃」である。

資本主義の世界に生きる以上は
衣食住のコストがかかる。
やりがいをやるにも生活コストは稼がねばならんのである。
その生活コストを支えるのに、
大家業は最善だ。

ムスコ達も何かなすべきことがあって、
この世に生まれてきたのだろう。
その意味で、そのなすべきことを成し遂げて、
心置きなく死ねる環境を整備して、私は死にたいのである。

私のなすべきことは
恐らく、これと言った才能がなく生まれて、
何度も挫折することだったのだと思う。
それをやったうえで、
資産を形成して次世代にパスする。
そのための人生だったのだと思う。

そのためにどうするか?
100歳まで生きて、限界まで家賃を貰って死ぬ。
これだ。

をはり

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