サイトアイコン サラリーマンと不動産投資

使えるものは親でも使え

成功すれば手段はどうだって良い

ビッグモーターの創業者の息子は
社内で「コナン君」と呼ばれているらしく、
低い身長と、
社員を叱責する際に、屈強な部下を前面に出して、
自分は後ろから叱責することから、
この笑えるニックネームを拝命したそうだ。

ビッグモーターに対しては様々な意見はあるが、
私は「資本主義における成功者」という実績の点で、心から敬服する。
社員という労働力のレバレッジを使って、
莫大な資産を形成したわけだし、
同業他社との厳しい競争を経て勝利したことには間違いない。

中小零細の中古車売買の企業の中には、
利益を削って、高く買い、安く売り、赤字覚悟の消費者サービスをする企業も多いだろう。
そういう企業は客も少なく、利益も低いので、
厳しい経営であることも少なくないだろう。
客にとって「いい会社」は経営者にとっては悪い会社なのかもしれない。

自分が「いい人」であろうとするならば、
自分を殺す必要がある。
他者に過度に貢献しようとすると、
自分を殺さなければならない。

いい人であるべきか、悪い人であるべきか。
企業経営はけして二者択一ではないと思うが、
いいとこ取りはできない。
甘くはない。

さて、今日はそんな話ではなく、
ビッグモーターの息子のような、
産まれながらにして資本家になってしまった人、
ラッキーで成り上がった人、
運で成功したように見える人について考えたい。

親族からの相続で不動産を得た人

徒手空拳、田舎から出てきて、
大学で就職してゼロから資産を構築した人。
「自分の力で成り上がったという人物」が評価される世の中だ。

私もそのタイプの人間で、
岩手の兼業農家の次男坊として生まれて、
お勉強で身を立てて、上京。
資格試験に敗れたものの、低スぺ就職、ブラック転職、再度の低スぺ転職、
リーマンショックによる不良債権の増加で、銀行子会社へのステップアップ転職、
政府主導による中小企業再生ファンドへの出資という市場変化に合わせてさらに
ステップアップ転職。

低スぺ勤め人時代に、這い上がるべくして始めた大家業を走らせ続けたことで
大企業の部長()並みの稼ぎを得た。
妻と3人の息子と幸せに暮らし、すでに資産は2億円、純資産も1億円。
比較的成功した。
ここまではゼロから独力で成し遂げた人生だった。

しかし、
聖丁という勤め人卒業を論理的に説明する天才を発見して、
自分も勤め人卒業に挑むが、
ハイスペになったことで膨らんでしまった固定費。
教育地獄にハマって増加するコスト。
女修行の不足による落とし穴。
これらに苦しみ、40歳を過ぎてなお、脱出困難に陥ってしまった。
資格試験失敗による挫折に続く、2度目の挫折だ。

そんな中、義父が死去。
2年もの間相続の調整をしてきた妻が、
単独で不動産を承継。
私の勤め人給与に並ぶ家賃収入を得るに至る。

3人の息子をお受験コースに乗せない。
女修行問題の解決という諸問題も同時に解消。

あれよあれよという間に、
私は勤め人卒業可能な状態となった(勤め人を辞めても月100万円CF状態)。

自分は無産階級から出発したのだが、
勤め人卒業のゴールテープを切ることが出来たのは、
妻の相続という、「他力本願であった」
自分の力だけで成し遂げたものではない。

二度目の挫折は他力によって難なく乗り越えた。

他力も含めて自分の人生。

しかし、こう思う。
ならば、「相続というラッキーイベント」を経た人は全て「ダメなのか?」

戦国大名では
武田信玄という傑物がいる。
親父を追放したので、彼はゼロから出発したかと言えばそうでもない。

武田信虎(信玄のオヤジ)が甲斐をほぼ統一していたことから、
その領土を承継できたという「相続的」なラッキーがあった。
彼が農民として産まれていたら、単なる豪農で終わっていた可能性もある。

織田信長の状況は信玄よりもずっと厳しい。
織田信秀(信長のオヤジ)は尾張の最有力者ではあっても、
守護大名は斯波家であったし、
織田は斯波家の家老級、そして同じ織田でも3つの家があって、
それぞれ力を持っていた。
3つの織田家を潰し、斯波氏も潰す必要があった。
それでも、織田信秀の長男に生まれるというラッキーはあったのだ。

織田信長は逆境から這い上がったわけだが、
京に近かったし、ライバルが弱かった。

武田信玄が、上杉、今川、北条という、数ある戦国大名のうち、最も厳しいエリアで
勝負しなければならなかったことと比べて楽だった。
実際毛利家はあっという間に領土拡大している。
周囲に強いヤツがいないというのは相当なアドバンテージだ。

結局、人は置かれた状況で、
与えられた手札で、最善の手を打つしかない。
それが人生と言うもんだ。

私だって、親が東京に出してくれたというラッキーはあったし、
今思えば私よりも、もっと貧乏な家もあった。
勉強やら部活を自由にできただけでもありがたい。
司法浪人も2年やらせてもらえたと思えば、ありがたい。
失敗したことも含めて、這い上がるパワーとなった。

聖丁のような傑物に対してさえ、
一流証券会社で少し成果を出したくらいで辞めて根性がない。
とか、
戸建数戸しかもっていなかったとか、
親から金を借りて貸家を買ったとか、
言おうと思えば何とでも批判ができる。

「自分が置かれた環境でベストを尽くす」

人ができるのはそれだけである。

親から借金をせずに自力で貯めて、勤め人卒業が5年遅れたほうがよかったのか?
という話である。
敢えて「独力」にこだわって、人生(時間)を浪費するよりは、
使えるものは親でも恩人でも使い倒して成功し、
恩返しをした方がいい。

自力万能主義を絶対視するならば、
PCも自分で開発しなければいけないし、
航空機も使用せず、自分の足で歩くしかない。
日本語も自分で開発するしかないではないか?
先人達が作った「日本」に産まれたから、
平和に資本主義ゲームをプレイでき、表現の自由を享受できて、
外野から他人に石を投げつけることも可能なのだ。

あらゆるものが「他力」だ。

ハンデゲームをしているんじゃない。総力戦だ。

将棋のプロが素人を相手にするのであれば、
「飛車角落ち」でもいいだろう。
それは1時間程度のゲームだ。

しかし、
我々がおかれているのは「資本主義の世界」
であり、総力戦だ。

代々の政治家の家系に産まれることもあれば、
産まれた瞬間父親がおらず、
愛情の薄い母親しかいない環境に産まれることもある。

頭脳明晰であればよいが、
知能が低かったら厳しいし、
抜群の体格と運動神経に恵まれる人もいれば、
五体不満足に産まれる人もいる。

ありとあらゆる有利と不利がありながら、
同じ資本主義、競争のゲームに放り込まれるのだ。

自分が持っていた武器をフル活用して戦って何が悪いか!
全て正義である。
生活保護を使おうが、
障碍者手当を使おうが、
適法であれば問題ない。

さらに言えば違法であろうと、
罰せられずに稼いだら正義だろう。

失うものがなければ、
歴史に名の遺す元総理大臣でさえ殺すことができる世界が現実なのだ。
(無論、犯罪を犯してでもバレなければいいという極論に与するものではない)

ドラクエであれば
素手でクリアするという「縛りプレイ」を楽しんでもいいだろうが、
人生というゲームでは、最初から「王者の剣」が手元にあったら、
それを使ってもよいし、使うべきだ。
敢えて「どうのつるぎ」で冒険に出る意味はない。

その意味で、聖丁も、
「情報商材」「占い」「仮想通貨煽り」「競馬予想屋」などの情弱ビジネスであっても、
短期で稼いで不動産等に変えるまでの短期勝負として許容しているし、
私も、やむなしと思う。

合法である限り、
「なりふり構わず、必死で稼ぐ」
資本主義という乱世では、
卑怯もクソもない。
稼いだモン勝ちである。

他人に遠慮して「王者の剣」を使わないのは馬鹿げている。
親が金持ちなら遠慮なく借りる。
稼げるなら一気呵成に稼ぐ。
そして貸家に変えて、細く長く硬い商売に固定する。

遠慮する必要はない。

「遠慮して成功できなくても誰も評価しない」のだから。

つづく

モバイルバージョンを終了