熱い人生を送るべきか?
無気力な人がいる。
私は無気力な人間ではない、と言われてきたし、
自分でもそう思っている。
特に私が若かりし頃は熱かった。
主に他人と自分を比較して熱くなっていた。
政治にも怒りを持っていた。
ニュースを見ては怒り、
靖国神社の遊就館に言っては熱い涙を流す。そういう青年であった。
しかし、
今思えば、それは自分が未熟で貧しく、不自由であること。
この大きな問題に正面から向き合わずに逃げていた結果ではないかと思う。
私はカネが欲しかったし、女にもモテたかった。
それを正面から向き合わずに逃げて、
戦いやすそうなものだけと戦っていたのではないか?
そんな話である。
政治であったり社会であったり、右翼的思想も実は「逃げ」かもしれない。
(今はびっくりするほどリベラル)
熱さの正体とは、
「逃げ」である場合がある。
気を付けた方がいい。
まず女と向き合わねばならなくなった
私は3人の男兄弟の真ん中に育ったので、
女の扱いも分からなかったし、
女の思考方法も分からなかった。
女兄弟がいれば良かった‥‥。
まず女と言えば母親であるが、
母親というものは自分の子供は可愛いので、
優しくするのである。
しかし、世の中の「女」は、母親ではない。
私に対して優しくすることはない。
まず男の子はそのギャップに苦しむことがある。
大学に入学するまでは
「受験に集中」するという逃げの大義名分があるから、
女と向き合うことから逃げて良い。
確かに高校でも女とイチャイチャしている男子学生はいた。
一発かましているカップルもいたであろう。
正直、うらやましかったと思う。
ただ、その系統の生徒たちは大体偏差値が低かったので
私はこう思っていた
「だからお前らは成績が悪いのだ」と。
早稲田に入ってみたら、
女とも遊んで勉強もできるスーパースターみたいな人間がゴロゴロいたが、
田舎の2番手進学校にはそんな奴は少なかった。
私は自分のステレオタイプである、
「女と遊んでいる奴は勉強ができないし、いい大学にはいけない」
この思考に逃げていた。
そして勉強することに「熱く」なっていたのだ。
なぜ女とも遊び、勉強も楽しむ。
という、より発展的な挑戦をしないのか?
と、今の私ならば、過去の高校生であった私に言ってやりたいものだが。
導入が長くなってしまった。
しかし、無事に大学に合格したら、
女と向き合う必要があった。
実際大学に合格したら、次は彼女を作る。
という発想になるのが18歳頃の男の常識的な思考ルーチンだ。
私の場合には大学の先輩に連れまわされて、
女修行をさせられた。
当時早稲田には女子学生が少なかったので、
周辺の女子大に手を伸ばした。
インカレサークルを立ち上げて、
ワイワイやって、女の子をゲットするという、
よくわからない修行をした。
特にノウハウは教えてくれなかったが、
先輩のやるように見様見真似(みようみまね)で女子と会話をする。
連絡先を入手する。
デートに誘う、
家に連れ帰る。
というプロセスを延々と回転させられた。
しかし最後まで到達することはなかなかできず、
大学1年生を終えることになる。
それもそのはず、私は「美人」でなければ嫌だったのだ。
特に最初の相手は美人じゃなければ嫌だと思っていたので、
なかなかうまく行かなかった。
レベル5の勇者のくせに、
メタルスライムでレべル上げをしようとするようなものだった。
私は愚かであったと思う。
今なら当時の私に言う。
まずはスライムを倒せ。
次におおガラス、と一角ウサギ、
それからバブルスライムだ。
しかし、
大学2年生になったら、同じ早稲田の1年生の女子にモテるようになった。
「先輩パワー」である。
美人だったので、私のチンケなプライドも守られた。
今までの苦労はなんだったんだ‥‥。
と、思うほどすんなりうまく行った。
私の女性問題はここでほとんど解決した。
大学2年で別れたが、その後、結婚に至るまで、
女性に困ったことはない。
最初の相手にしては適当であった。
私自身女から逃げて、「勉強に熱くなる」
という経験をしていたからわかる。
女から逃げ続けて何かに熱くなっているヤツは多い。
変なアニメやアイドルにハマっている人たち。
私は気持ちが分かる。
私は女性は美人以外は嫌だ。
ブスが嫌いなのだ。
彼らも多分同じだ。
結局美人がいいけど、
美人には相手にしてもらえない。
だから仮想現実に逃げているに他ならない。
男性アイドルを追っかける女も似たようなところがあるかもしれないが、
女は現実的なので、好きな男は好きな男、
結婚する相手はまた別の要素で判断したりする。
話はそれたが、
女をこじらせて、そこから逃げることで何かに熱くなっている男。
私には一発でわかる。
保守思想に熱くなる
韓国や中国を過度に攻撃する。
大東亜戦争での日本の立場を過度に支持する。
など、右翼的思想にかぶれたこともあった。
政治イベントなどに参加して熱くなったこともあった。
今思えばこれは私にカネがないことから逃げていたのだと思う。
何故そう言えるかと言うと、
今、私はカネ持ちになって、そんな運動に熱くなろうなどと言う気持ちが無くなった。
デモをやっている人は私は貧乏なのだと思う。
その貧乏に正面から向き合わずに、
他者を攻撃しているのだ。
しかし、私もこの保守思想かぶれ、
政治かぶれからも卒業することになる。
それは司法試験を諦め、就職したからであろう。
新卒で一流企業に入社した同級生たち。
一方サラ金の子会社に入社した私。
同じ人間なのに、全く違う給与。
30歳になったら1,000万円もらえる彼らと、
30歳になってもおそらく500万円台であろう私。
怒りに震えた。
政治なんかどうでもよくなった。
なぜ、俺は貧乏になるんだ!
弁護士になって風を切って歩く人生じゃなかったのか?
と。
その後、怒りに震えながら、副業を始め、不動産を買い進めているうちに、
大東亜戦争で死んでいった英霊などどうでもよかった。
中国で行われているチベットウイグルの虐殺も、
南京大虐殺という嘘を垂れ流す中国共産党もどうでもいい。
従軍慰安婦問題も関係ない。
俺が、この俺が貧乏な人生を送らされているという圧倒的な事実の前には、
政治も世界情勢もクソくらえなのだ。
私は幸運にも、自分の未来に広がりつつあった、
「貧乏なクソ人生」と戦うことを選んだ。
投資用不動産販売に転職してみたり、
また同じ債権回収業界に戻って、副業と不動産と給与の3本柱を立てれば、
三菱商事やメガバンク、外資系金融に行った連中にも年収で勝てる。
と、戦略を立てた。
北朝鮮の拉致被害者を救う会の活動に参加するのではなく、
日夜を問わず働き、貯金して、不動産を買うという選択をしたのである。
熱くなってはいなかった。
極めて冷静だった。
2006年11月 6万円貯める 総額189万円到達。
2006年12月 10万円貯金 もうすぐ200万円。
これを頭金にローンを組むため金融機関を回る。
そんなことをExcelシートに打ち込んでいた。
熱くなる要素は全くない。
自分が金持ちになるために。粛々と駒を進めただけだ。
途中結婚して共働きにして世帯年収を1,000万円に乗せるという、
間違った戦略も採用してしまい、
子供の教育費負担に苦しめられてはいるものの、
まあこの失敗も誤差のうちだし、
自分の稼いだアセットが自分の遺伝子を継ぐ者たちに承継されるのも
悪くない。
その結果私はカネ持ちサラリーマンとなった。
政治にも経済にも多少の関心はあるものの、
全く熱くはならない。
今思えばあの時、熱くなっていたのは自分のクソみたいな人生から目をそらすためだったのだと思う。
カネと女の問題は真っ先に解決しなければいけない
結局男が熱くなっているのはカネと女の問題で不満を感じているから。
これに尽きる。
この2つの欲求が満たされていないから熱くなっているのである。
これらを解決してしまったら、
別に熱くなる必要もない。
粛々と、合理的な手段で問題を解決するだけだ。
若いうち、デキれば20代までにカネと女の問題にはケリをつけておかねばならない。
さもないといい歳して恥ずかしい失敗をすることになる。
人生で成し遂げたいことが無くなる問題
そしていよいよ、
カネと女の問題をある程度解決。
勤め人を卒業したいと思うほど、勤め人人生に不満がないような私の抱える問題。
「あんまりやりたいことがない問題」
にやっと入っていくわけであるが。
大いに問題だ。
正直熱くなれることがない。
上昇志向が薄いので、Twitterでフォロワーを増やしたいとか、
資産10億円めざすとか、
全然熱くなれない。
まだ40歳なのに引退老人みたいな心境なのである。
さて、ここから何をするかはまた次回。
題名とは全く違う展開になるパターンだ。
所詮熱い奴ってのは不満を抱えている奴なんだよ。
をはり