そういう名前の酒もある

別に日本酒の宣伝ではない。
また、如水(じょすい)と言えば、
戦国時代好きには見逃せない黒田如水である。
まさに関ケ原の合戦時、九州では水の如し。
あっという間に吸収を平定する直前まで軍を進めた。
まさに鬼謀。
さて、まさにこの、水の如し黒田如水。
彼が私の年齢の時には何をしていたかと思えば、
なんと出家である。
北条家を滅亡させて、天下に敵なしとなった秀吉は、
黒田官兵衛の智謀をむしろ危険であるとして、
九州は中津へと追いやったのである。
1593年、黒田如水48歳出家。
まさに私も似たような時期にある。
46歳、勤め人とも大家とも言えない、
両面作戦を成功させて、
一気に成り上がったものの、
当然ながら、どちらも中途半端。
勤め人としてトップを走る人々にも、
大家としてトップを走る人々にも、
到底及ばない。
当然、上を目指すのであれば、
勤め人(日本チャンピオンベルト)は返上して
経営者(世界戦)に挑むべきなのだろう。
しかし、私はなんと38歳から46歳までずっと、
ウダウダウダウダと、
勤め人大家を続けているのだ。
このブログを始めたのが2018年4月である。
かれこれ8年もグズグズしている。
ただ、2018年4月に独立していたら何をしていたかと思うと、
多分何もできていない。
コロナには何をしていても巻き込まれるし、
当時は私的に大きな問題を抱えていた。
2018年にさっさと独立していれば、もっといい世界があったのに!
とは、到底思えない。
2019年から2021年のコロナ禍。
寝っ転がっているだけで給料が貰えた。
不動産はブチアゲしてしまったが、
まあ、資産も増えた。
2022年に私的な大問題が解決したし、
グズグズすることにも大いに意義があるのだ。
私はこのグズグズ期間をまさに水の如し期間と定義している。
勤め人に舵を戻すか?一気に経営者に振るか?
勤め人大家という生き方だが、
これは最初からどっちをメインにしておくか?
この点が重要である。
私の場合には別にどちらがメインと言うこともなく開始した。
そもそも大家業が給与を超えるなんてことは想定していなかった。
だからこそ、昇給するのであれば転職もいいな。
と、思って転職をしてきたのであり、
聖丁のように勤め人を辞めるためにあえて給与を下げる転職が必要。
という概念に共感したのである。
つまり、
私はそもそも、勤め人は定年までやらざるを得ないモノ。
という前提があった。
しかし、大家業を並走させることで、ハイスペ並みの収入となる。
この程度の浅い理解だったのだ。
ところが、いざ大家業をやってみたら、
あれよあれよ、という間に勤め人の稼ぎを上回ってしまった。
そうなってくると、当初は勤め人を定年までやろうと思っていた私だが、
野心ってヤツが芽生えてきて、
まだ40代半ばにも関わらず、じゃあ経営者に行ってみるか!
と、思うに至っている。
人の考えは変わるものだ。
一途な童貞君も、女を1度知ってしまい、ヤリチンに転生するのは
よくある話だ。
変化すること自体が悪いのではない。
変化を恐れ何も挑戦しないことが最悪だ。
という訳で、
最初は定年まで勤め人することを想定していた私が、
38歳にして方針を切替得たのは大いに良いことである。
さて、であれば38歳から46歳の今の今まで、
明確に態度を表明しないまま、
フラフラ~と、8年もどっちつかずを続けているのはどういうことなのだろうか。
どっちつかずこそ、上善水の如し
早く経営者に振り切っていれば、今頃私はどうなっていただろうか?
Youtubeでヒットでも飛ばして有名になっていただろうか?
それとも、コロナ禍で公金詐取でもやらかして、再起不能になっていただろうか?
これはどちらもあり得る。
経営者の世界は勝つか、負けるかである。
どちらか2つに1つ。
引き分けの連続の場合もあるが。
一方勤め人の世界は勝ちも負けもない。
リスクとリターン、両方を放棄しているのだから仕方ない。
しかし、
上善水の如しとは、他者と争わずに、なすがまま、流されるように生きるという哲学だ。
敢えて、勤め人を捨てて経営者になるのも、
経営を放棄して、勤め人にコミットするのも、どちらもなじまない。
むしろソコソコの経営者、同時にソコソコの勤め人。
これまで通り、両方バランスよくやっておけばいい。
どうせ終わりは見えているのだ。
明確な終わりとしては、定年退職。
ここのタイミングでは
どうあっても経営者にならねばならない。
水に例えるなら川から、海に入ったようなもので、
どうあっても塩水に変化しなければならないタイミングだ。
その次は蒸発して雲になるタイミング。
そして雨として山へ降り注ぐタイミングなどなど。
川にある間に無理をして塩水になる必要はない。
川にあるうちは真水で良いではないか?
取れるうちは給与を取って、
法人は現金をためておき、
今の会社からお払い箱になったときに満を持して、
独立したらいい。
自分で決めずに、流れに身を任せる。
まさに水の如く。
時が来たら、なるようになるし、今までもそうやって来た。
1593年、黒田官兵衛が出家してから7年。
満を持して関ケ原の戦いが起きた。
黒田官兵衛55歳。
まさに時は今である。
あっという間に九州を制圧して、
島津も呑むかというところまで押した。
残念ながら天運は家康公にあったが、
2番目に天下に近かったのは、石田三成ではなく、
実は黒田官兵衛だったと思うのだ。
なんだかんだと言って、伊達政宗は上杉景勝、佐竹、最上と、
強烈な大名に囲まれていた。
仮に関ケ原の戦いが長期化していたら、黒田官兵衛が、九州武士団をまとめ、
毛利と結び、四国を制し、再度豊臣側をまとめ上げて、
家康に一勝負挑むことができただろう。
ま、そこまで含めて、
黒田官兵衛を九州に追いやった秀吉の先見の明ということか。
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