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戸沢 盛安

 

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生誕 1566年 ~ 死没 1590年7月7日 享年25歳

戸沢盛安(とざわ もりやす)ですが、
「東北の小大名の割に強いな。」
と。思いつい調べてみました。

おっと25歳で死亡。夭折です。
この短い期間でここまでの高評価を得るとは。
周りの東北武将がイマイチなのか。

「夜叉九郎の武」が志ですね。

慈悲深き鬼
基「夜叉の斬込」:大名自ら出陣すると部隊の士気が上がる
条「鬼軍の進撃」:行軍で悪天候の影響を受けない
条「雨の大井川」:戦意の上限が上がる
悪「夜叉の情け」:攻城戦で包囲の威力が下がる

「ん?」という志が。
「大井川?」箱根八里は馬でも越すが、越すに越せない大井川。
大井川は静岡県ですよね?
なぜ秋田は角館の武将に大井川?
これは調べずにはおれん。


「富士三十六景」に描かれる大井川

1590年3月、小田原征伐に向かう豊臣秀吉の元に参上し、
所領安堵を願い出た東北の大名たち。
戸沢盛安もはせ参じました。
しかし彼は誰よりも先んじ、彼はいち早く京都に向かいました。

京に着いてみると、先に秀吉は小田原に向けて行軍中。
何とか追いついたものの、秀吉が島田にいるときに
盛安は金谷にいたとか、しかし大井川が雨で増水していて渡れない。

そこで盛安は
「関白殿下に忠義を立て遠国から駆けつけて、一夜たりとも遅参してはならぬと思った次第。増水などに負けぬ。」
と言って大井川を泳いで渡ったとの逸話が残っています(Wikipedia)

なぜ東北の大名が西からやってくるんじゃ。と話題になったと言います。
こういうハデなパフォーマンスは秀吉の大好物なので、大喜びして太刀を授けたとのこと。
このエピソードから来ているんですね。

才気鋭敏
基「孤高なる鬼」:同盟を破棄しても他勢力の心証が下がらず
条「鉱山経営」:鉱山商圏の成長速度と金銭収入が上昇
条「九騎参陣」:自勢力より大きい相手との交渉が有利
悪「英年早逝」:大名が死ぬと他勢力の心証が下がる

こちらの「九騎参陣」も秀吉に謁見した時のエピソード由来。
わずか9人で駆け出して、小田原到着前に謁見したとの史実からですね。

統率 84 武勇 90 知略 80 内政 55 外政 62

やはり総大将自ら敵陣に突っ込むという話から高い武勇を設定されています。
南は横手城の小野寺氏、北西からは安東氏の進行を跳ね返し、戸沢家最大の版図を確保したとのこと。

小田原の陣で没してしまい、お墓は小田原の海蔵寺にあります。
戸沢家は豊臣秀吉死後は徳川家康に接近、新庄藩に移封された後、幕末まで続く名家となります。
うーん夜叉九朗、濃い25年です。

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