徳川 家康 SAT 6年前 軍事内政時少年期壮年期(関ケ原)老人期(大阪の陣)PK追加画像徳川 家康(とくがわ いえやす) 生誕 1543年1月31日 ~ 死没 1616年6月1日 ※享年74歳欣救浄土(ごんぐじょうど)穢れた地を離れ、浄土を求める戦なき平和な世を目指し歩み続けん三河武士三河武士の魂忘れることなかれ我らが力で世に平和をもたらすべし織徳同盟背中の守りは織田に任せよ我らが見据えるは東国のみ家康に変わらぬ忠誠を誓う三河武士たちは、ときに一向一揆に身を投じるほど信仰心が厚く、それが強い団結力の一因となっていました。彼らの団結力を背景に家康は自らを守る強力な武士団を作り上げます。基本(旗本先手役):徳川四天王の誰かが部隊を率いて大名と同じ決戦に出ると四天王部隊の戦闘力が上がる条件(堅忍不抜):決戦で部隊の防御力が上がる条件(七転八起):潰走した部隊の復帰が早くなる悪(大黒柱):大名自らが出陣しないと部隊の士気が下がる家康が織田家と結んだ同盟は、時代と共に位置づけを変えながらも、信長が本能寺の変で果てるまでずっと続いた絆でした。信長の目指す天下の実現が、家康の目指す天下と言えるのかもしれません。基本(信頼):同盟勢力との交渉が有利になる条件(友軍):決戦時に他勢力との連合軍になると部隊の戦闘力が上がる条件(共有):同盟勢力が実行済みの方策がある場合実行に必要な施策力が減る悪(蚊帳の外):同盟勢力以外との交渉が不利になる本能寺の変を境に志が変化する天下泰平乱世に終止符を打つ戦のない平和な世のこの手で作るのだ徳川四天王徳川に忠義を尽くす者、厚く遇すべし皆で太平の世を生み出さん旧領統治新たに得た領地も無下にすることなかれ天下万民が我が民なり三河武士からさらに強化されています!家康の天下人への歩みを支えたのは、やはり三河武士たちでした。彼らは譜代衆として家中で鵜うような位置をしめ、軍事や内政に活躍します。基本(近衛兵):徳川四天王の誰かが部隊を率いて大名と決戦に出ると四天王と大名部隊の戦闘力が上がる条件(堅忍不抜):決戦での部隊の防御力が上がる条件(大名親政):大名自らが出陣すると、部隊の士気が上がる悪(外様衆):新参武将(士官10年未満の家臣)の施策力が減る旧武田領、旧北条領など、新たに得た領地を巧みに統治することで家康は力を伸ばしていきます。武田の軍制や北条の四公六民など、良いものを吸収できる柔軟さが家康を天下人へと導いたとも言えるでしょう。基本(武田軍制):滅亡させた勢力の方策を獲得できる条件(関東入府):灌漑の効果が上がる条件(仁政):勢力の民忠が上がる悪(年貢減免):拠点の兵糧収入が減る統率 99武勇 88知略 89内政 93外政 88©コーエーテクモゲームズ All Rights Reserved.