尼子 晴久 SAT 6年前 尼子 晴久(あまご はるひさ)生誕 1514年3月8日 ~ 死没 1561年1月9日 ※享年36歳葦原中国の主 祖父より受け継ぎし陰陽十一州その猛き兵を率い中国が主とならん 権力集中 尼子家の主はこの晴久のみ すべてを晴久が決め、晴久が裁く 貿易保護 石見の銀で得た富にて いずれは出雲大社を我がものとせん尼子氏の領国では、国人や一門の力が強く、戦国大名化、集権化が遅れていました。その中で晴久は、自身の権力基盤の弱点を見抜いたうえで、奉行衆の抜擢、国人や一門の粛清などにより、旧来の権力基盤からの脱却を図り、中央集権化を推し進めたのです。 基本(幕僚登用):新参武将(士官10年未満の家臣)の施策力が増える 条件(宗家集権):評定で大名自らが発言できる 条件(紅染めの結束):決戦に勝利すると戦意が大きく上がる 悪(新宮党粛清):古参武将(士官10年以上の家臣)の施策力が減る石見銀山で得られる大量の銀は、尼子氏の軍資金や、神社仏閣の造営資金となるだけでなく、経済を発展させ、その豊富な銀を目当てに集まった商人を相手とした日明貿易、南蛮貿易や、若狭商人との貿易の振興に繋がっていきます。 基本(石見銀):銀山のある商圏の成長速度が上がる 条件(神在月):特殊商圏の金銭収入が増える 条件(対外貿易):領内の商業港が貿易港と同じ扱いになる 悪(神道介入):一揆が発生しやすくなる統率 72武勇 59知略 74内政 81外政 77コーエーテクモゲームズ ALL Right Reserved.