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内藤 昌豊

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統率 84
武勇 76
知略 84
内政 79
外政 82

志は 「家名存続」

生誕  1522年 ~ 死没※  1575年6月29日 ※ 戦死@長篠の戦い 享年 54歳

武田四天王のうち3名が長篠の戦いで死亡
唯一生き残った高坂昌信は上杉謙信の抑えで北信濃にいたため不参加

内藤昌豊の目立った戦果がない

武田四天王では最も地味かもしれない。
山県昌景はやはり赤備え、高坂昌信は甲陽軍鑑と信玄とのラブレター事件
馬場信春と言えば鬼美濃。

箕輪城主と言うこと以外それほど目立った戦果もない気がしますが、
何といっても第4次川中島の戦いにおける妻女山別働第の総大将です。

信玄の合戦にはほとんど従軍していますし、相当地味ですが、逆に手堅い武将であったと推測します。
長篠の戦においても勝頼を逃がすために殿(しんがり)を果たしての討ち死であるとのこと。

忠臣の子にして忠臣

工藤虎豊という武田信虎(信玄の父親)の家臣の次男で、
工藤虎豊とは花倉の乱に敗北して甲斐に逃れてきた残党に切腹を言い渡した信虎に諫言し、
殺されたという武将ですね。
その後兄とともに諸国を流浪しましたが、信玄(当時晴信)が信虎を追放し、甲斐の国主となった際に呼び戻されています。

こちらは歌川國芳の絵
今で言う信長の野望のイラストみたいなものですね。
昔の戦国好きも、私のようにこれを眺めてああだこうだと話していたのでしょうねえ。

まあ戦国武将のネタで話せる相手が私にはいないけど。

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