私の買い方は非効率の極み

不動産全般の話

私の資金の流れ

司法試験に挫折して、高学歴低年収勤め人から人生をリスタートした私。
共働き可能な妻と結婚して世帯年収を上げ、
不動産で再生することを目指した。

28歳貯金ゼロ、2,900万円の住宅ローンを組んだ。
結婚費用は親から出してもらい、
新婚旅行もニューカレドニアに行った。

結婚指輪は10万円
婚約指輪もセットだ。

私の年収に占める割合としては2.5%
今の2.5%ならば75万円になる。
頑張ったと思ふ。

そんな低属性から開始した私の不動産の買い方は
「現金一括」であった。
今思っても頭の悪い作戦だ。

私は勉強の成績はソコソコいいのだが、
要領が悪い。
とにかく時間をかけてストレスを貯めて、
効率性を考える暇があったらとにかくやる。
そんな旧日本軍みたいな作戦。

友人の会社を手伝って月15万円(業務委託報酬)もらい、
給料だけで生活して毎月20万円貯金する。
3年かけて1件のワンルームマンションを買う。
という作戦だ。
当時スルガ銀行もライフ住宅ローン(現:三井住友トラストローンアンドファイナンス)も
融資不可。
という烙印を押され、高学歴は与信に何の役も立たないことを思い知った。

新卒でいい会社に入社する以上に学歴とは何の意味もなく、
大学を卒業したらルールが変わる。
大学卒業、新卒迄のルールは「学歴」であったかもしれないが、
そこから先のルールは「資本主義」即ち、BSとPLに切り替わるのである。
せめて誰かにそれを教えて欲しかったが、私は悲しい程無知だったのだ。

さて、話が散らかってきたのでもとに戻す。
そう、私は労働力を現金に転換して、その現金を不動産に変換するという、
ただそれだけを行ってきた。
28歳から34歳までの6年間ずっとこれをしてきた。
妻の貯金を吐き出させて買わせたこともあったので、
物件数は4件になった。

そこから先は友人から借金(年7%)をして加速、
三井住友トラストから借金をして加速、公庫から借金をして加速。
今となっては不動産投資歴13年で13棟、15室の大家になった。

稼ぐ、キャッシュを不動産に変換する、ただそれだけ

当然銀行の低利融資を引けば、もっと早い。
しかし、私はそれができなかった。
理由は「中古が良い」という固定観念に凝り固まって、
深い考察をしなかったことであろうと思う。
ポールさんやふんどし王子という若き優秀なる投資家が柔らかい頭で、
両方(中古&新築)を柔軟に採用していることと対照的だ。

また、「投資は都心で」という固定観念も障害になった。
田舎は人口減少で客が付かないという、
不動産投資本の言説をそのままインプットしてしまっていたのである。
人口減少といってもそれは数十年単位で進むのであり、
今いる人間は存在する。
向こう30年で人口が数割減ると言うわけではないので、
5年で元本を回収できる地方投資は当然目を向けるべきだったのである。

それをせずに、低年収なのに金額が大きくなる、
都心での投資に固執したことも私の資産拡大を大いに遅くした。

それでも私は馬鹿なので、同じことを方法を変えずにやってきた。
今やっていることも基本的に同じだ。
稼ぎ、不動産からのキャッシュを貯め、カードローンで融資を引き、
1つ1つ貸家を買う。
それだけだ。
今も700万円のカードローンを引っ張ってきて、
それを1年程度で完済して、また借りる。
それを繰り返している。

無担保物件ができたら共同担保に入れて三井住友トラストから融資を引く。
非常にシンプルな方法だ。
それでも13年もやってきて、昔は相手にされなかった、
ノンバンクであっても金融機関がカネを貸してくれるのは非常にありがたい。

私の法人も4期目を終えて、毎期黒字を計上している。
これをもう数年繰り返していけば、銀行取引も始められるのではないかと思っている。
50歳を過ぎて、今の勤め人の働き方もスケールダウンしながら、
それと反比例させるように、不動産収入を増やしていきたいと思ふ。
そうしているうちに育児も終わって、教育費という支出が減る。
子供の自立に伴って、今の無駄に広い家も要らなくなる。
その時に私の勤め人人生は終わりを迎えるであろう。

結果的には失敗していないものの、
私の投資は非効率だ。
それは認める。
しかし私は意外に用心深く、新しいことを常に警戒している。
石橋をたたいて叩いてそれでも渡らないという保守的な性格。
なかなか新しい挑戦には踏み出さない。

結婚や子供は金持になるためには有害

結婚して世帯収入を増やすという選択も経済的観点のみからすれば失敗である。
結局妻は私の年収が増えるのを見て、ほぼ専業主婦化して、収入はなくなった。
同様に年収が増えるので、子供も3人に増産された。

結局固定費が増大して稼いだカネがリターンを産まない家族に費やされる。
これは経済的観点からすれば大いに戦略として間違っていた。
私自身は月30万円もキャッシュフローがあれば楽しく生きられるので、
今の不動産キャッシュフローがあれば、1人で面白おかしく生きられたであろう。

ただ、子供達の存在は私にとって財産である。
40歳独身ニートで家賃でフラフラ生きられる人生を選択していたら、
私はきっと何か空虚さを感じていたと思う。

経済的には失敗であったかもしれないが、
人生とは経済面が全てではない。
総合的に考えて、私の今は成功だったと思っている。

転職戦略がワークする時代に生きられたことは幸せ

私の幸運だったのは、
不良債権の流通が始まったばかりの時代に、
新しい業界に潜り込めたことだ。

新しい業界で、なおかつ金融という比較的高年収が得られる業界を選択したのは正解だった。
出発は消費者金融の子会社だったが、
そのサラ金も今やメガバンクの関連会社だ。

そこから独立系に転職して、銀行系に転職して年収が倍増して、
さらに高年収の業界にスライドできたことはまさに幸運だ。
これが昭和であったら、産業が固定化していて変化が少ないので、
こんな戦略はワークしなかったであろう。

長銀が倒産してくれたから、
私は成功できたのかもしれない。
日本経済を破壊しつづけている不断の『構造改革』こそが、
私の勤め人年収を引き上げてくれたのだ。

皆様の不幸の上に、私の勤め人としての成功は成り立っている。
低い給料での生活に慣れつつ、
高い給料になっても生活レベルを抑えることで、
私のキャッシュ蓄積速度は加速できた。

最初から一流企業に入っていたら、
周りを見て、高級マンションを買ったかもしれないし、
新車を買うようなアホな真似をしてしまったかもしれない。

今思えば低年収勤め人で辛酸を舐めたことが私の幸運だった。

これまでの16年の勤め人人生と不動産の13年を振り返って

私は勤め人としては身分不相応までに出世したと思ふ。
この能力でこの稼ぎは多すぎる。

不動産でもまずまず成功した。
40歳で2億円弱の総資産、1億円弱の純資産はそうそう作れるものではない。

つまり私はカネ持ちになりたいという、
青雲の志を叶えることができたのだ。
高校生の時、もっと金が欲しいと弁護士を目指したが、
手段(弁護士か勤め人大家か)の違いはあれど、
高校生当時の私と会った時、きっと彼(私)は私の今の姿に納得すると思う。
そこまでの段階に到達したとは思う。

問題はこれからだ。

少年の夢は叶った。
中年の私は今、新しい人生を選択する。

織田信長は青雲の志を果たして、中年になり、死んだ。
豊臣秀吉は青雲の志を果たして、中年になり、その延長の海外進出を失敗しつつ、後継者に恵まれず恐らく失意のまま死んだ。
徳川家康は青雲の志を果たして、中年になり、260年の平和の礎を築いて恐らくやり切って死んだ。

私はどう選択すべきだろう。
無論信長のように急死するかもしれない。
秀吉のように自分の限界に挑み続けることもできる。(インフルエンサー、ギガ大家へ等)
家康のように守備範囲を明確にして、15代も続く繁栄の礎を築くことに注力することもできる。

いずれの人生も素晴らしいものだが、
私は間違いなく家康タイプである。
家康42歳、彼は小牧長久手の戦いで秀吉に戦争で勝利し、政治で負けた。
それから48歳の時には江戸に追いやられた。
さらに10年の臥薪嘗胆の後、やっと58歳の時に関ケ原で天下を得ている。
そして最後の憂いだった豊臣家の滅亡まではさらに15年もかかっている。

秀吉が海外に進出せず、国内で基盤を盤石にするべく、
家康をちゃんと討っておけば、日本史は大きく変容していただろう。

さて、私は今、まさにある程度の成功を得た。
ライバルの武田家もいない。
秀吉とも肩を並べる程に力をつけてきた。
ここから一気に攻める手もある。
しかし私はここからさらに伏龍となる選択をする。

調子に乗ってサラリーマンを卒業してオラオラするのは私らしくないのである。
旧領を取り上げられて、江戸に異動になった家康公も48歳であった。
42歳程度の若造で、才気では家康公に劣る私が一気に勝負に出るのは傲慢だ。

私はまだまだ水の中に潜まねばならない。
慢心するなかれ、我未だ未熟なり。

つづく