私の子供のころの話

私の履歴書

そろそろクリスマスなので昔話でも

私の父親の話をしよう。
父親はJAに勤務する兼業農家であり、
年収はピークでも今の私の稼ぎの3割程度だったと思う。

田舎のサラリーマンは相当稼ぎが悪い。
しかし、米や野菜はあるし、川で魚も取れるので、
生活コストは極めて安かったと思う。

小さい頃は1年に1回だけファミコンソフトを買ってもらうのが楽しみだった。
買ってもらうと言ってもそれは自分のお年玉で買うのだが。

旅行などは1度も行った記憶がない。
海外どころか、国内もない。

レジャーもない。
休日は農業の手伝いが仕事だ。

戦後の貧しさの延長がそこにはあった気がする。

旅行、外食、レジャー一切なし

この生活スタイルは実は極めて合理的だったのではないかと今は思う。

残念ながら旅行は人を成長させない。
ただの娯楽だ。
ガキを旅行に連れて行っても学ぶものなどない。
それよりも日本の地理と歴史を叩き込んで、それから行くのであれば
多少は意味があるかもしれないが。

確かに実家はカネ持ちではなかった。
友人は週末の都度「お出かけ」「外食」した話をした。
しかし、
彼らは勉強もできなければ、運動神経がいいわけでもない。
多分今でもうだつの上がらない生活をしていることだろう。

立身出世を遂げていれば嫌でも噂を聞くからだ。
そんな噂は聞いていないので、
恐らく同級生はみなショボい人生を送っていると思う。
私も含めてだが。

しかし教育費だけは出た

レジャー、外食などのカネは1円も父は使わなかったが、
教育費だけは湯水のごとく出た。

高校は下宿をさせてもらえたし、
小遣いももらえた。

大学の仕送りも岩手の貧乏勤め人なのに
他の同級生とそう変わらなかった。
これはすごいことだ。

親父は頭はそれほどよくないものの、
カネを使う優先順位を明確にしていたのだ。

確かに飲む酒はいつも「大五郎」

工業用アルコールと大差ないテイストの恐ろしい酒だ。
これを毎晩ストレートで2杯飲んで勝手に自爆して寝ていた。

それしか趣味がないのだ。
稼いで、貯める能力も高かったということだ。

惜しむらくはビジネスセンスが低い

牛肉の貿易自由化までは畜産をやっていてそれなりに儲かっていたようだ。
しかし、自由化してからは赤字の商売になったので、
速やかに撤退したので、ビジネスセンスがあるのかと思ったら、
祖父が体力の限界だったからやめただけの話だった。

その後、ビジネスをやることはなかったが、
逆に変な事業に手を出して失敗しなかったことは素晴らしい。
私と弟の大学の学費が捻出されたわけだから。

愚か者の戦略

私の思考回路はかなり父親に近い。

しかしビジネスセンスがあり、学歴もあるので、
勤め人としてもある程度は出世できるし、
不動産程度の事業ならば小銭を稼ぐこともできる。

一方で、レジャーには浪費しない。
衣食住にも極力カネを使わない。

このあたりのセンスは父親の影響があるのかもしれない。
教育費は比較的放漫に出すので、
その点も近いと言える。

所詮カエルの子はカエルということか。

さて、

ビジネスセンスがなく、稼ぎも悪い勤め人でも、
節約を徹底することで、
負けないことが出来ることを、
ウチの親父は証明したのかもしれない。

愚か者の戦略としては正しい。

残念なのは、智慧を外部に求めて、
それを学び、実践する行動をしなかったのが敗因だろう。

私は勤め人をしながら農業ではなく、
不動産に商機(勝機)を見出すことができた。
そして行動を起こしたところが違いだ。

知能の差ではなく、行動の有無の差が出たのかもしれない。

むしろ行動したか否かによってのみ、
差が生じると言っても過言ではないかもしれない。

まとまりのない文章だが結論

クリスマスを前にして
クリスマスなど関係なかった子供時代を思い出して、
息子3人にも何も買わないことにしようと決めた。

そして自分が人生で学んだことを含めて、
しっかり教育だけは与えようと決めた。

そして投資した教育費は、一流企業になんか就職させずに、
私の法人に就労させて労働させて回収してやろうと思う。

そんなことを思った。