石田 三成

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石田三成

石田 三成(いしだ みつなり)
生誕 1560年 ~ 死没 1600年11月6日 ※享年41歳

大一大万大吉
万民が一人のため、一人が万民のため互いに尽くせば太平の世が訪れる

君臣分録
知行は臣のものにて主のものならず
相応しき才には相応しき録を与えん

天下奉行
佐吉には領地など要らぬ
望むは天下への奉公のみ

君臣分録
三成の配下に、猛将として知られる島左近がいます。当初左近は仕官の要請を断りますが、説得により二万石の俸禄で仕えることを決めたといいます。当時の三成の禄高は四万石。左近の才ならば、その半分を与えても惜しくないと判断したのでしょう。

基本(過ぎたる主):家臣の忠誠が上がる
条件(先懸衆):決戦で部隊の士気が上がる
条件(国友衆保護):鉄砲の購入時の価格が下がり鉄砲を装備した部隊の攻撃力が上がる
悪(狷介孤高/けんかいここう):他勢力との連合軍で決戦に敗北すると戦意が大きく下がる

天下奉行
豊臣秀吉は太閤検地での働きを見て、三成に九州の大きな領地を与えようとします。しかし三成は、大阪で政務を執る者がいなくなる、とこれを断っています。自身の出世よりも、秀吉の天下の繁栄を望んだ故に、このような選択をしたのかもしれません。

基本(合議行政):すべての家臣の施策力が増える
条件(兵站整備):行軍時の兵糧消費が減る
条件(外交取次):交渉が有利になる
悪(唯我独尊):親善の効果が下がる

統率 70
武勇 63
知略 78
内政 97
外政 90

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